『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.503

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られ、勝頼より、千五貫文の地を宛行乃む〓證文をあたへらる、天正十年、, に屬し、しは〳〵船手の戰ふに軍功あ〓とずる、兩家より感状數通をあたへ, 今より御譜代乃士におほしめさるゝかゆへ、忠勤をは〓むへしとの仰, は、御感乃仰をかうぬお、すとにしる忠佐をしる、甲府にをいて武功のも, のをたつ手させらこ、五月二十一日、岡崎にめされて御摩下に加へられ、, 粮米運送遲滯に及ひと、諸軍ほとんとこまにくるしむ、ときに信高所々, は、大久保忠佐をもつと問せたまふにより、信高姓名を具しあ呈しけま, 武田家沒落のゝち、東照宮遠江國二俣乃城主今福淨閑と御合戰乃とお、, に蜂起する處乃野武士等を追退〓、頓⑧、貝塚、掛塚より粮米を運ふしか, 御陣のとき、蟹江の城にをひて、九鬼大隅守兵船に乘來る、信高これと戰, 信高間宮豐前守康俊か四男、母は某氏、北條氏政につか〓、乃ち武田勝頼, と討死、三十二歳、, 信高, 〔寛政重修諸家譜〕四〓三問宮, 問宮, 虎之助、, 虎助、造, 肴〓、〓, 酒丞, 十年家康, 二俣ヲ攻, 船手, ムトノ説, 天正十二年六月十八日, 五〇三

割注

  • 虎之助、
  • 虎助、造
  • 肴〓、〓
  • 酒丞

頭注

  • 十年家康
  • 二俣ヲ攻
  • 船手
  • ムトノ説

  • 天正十二年六月十八日

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  • 五〇三

注記 (25)

  • 1092,680,58,2150られ、勝頼より、千五貫文の地を宛行乃む〓證文をあたへらる、天正十年、
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