『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.927

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ていとみ戰はしむ、時に敵の斥候とみ〓〓、馬をめくらし指揮す多もの, ゝみ、川をわたり、味方乃諸軍等これにつき競ひかゝりし攻戰ふ、森か軍, 郎左衞門康高、高天神城寄手たるによりてなり、十年七月、甲府に御旗を, し、樂田羽黒五郎丸のあたり乃民屋に放火し、鯨波を發して、長一か守る, すゝめたまふとき、信昌、酒井忠次か手に屬して、信濃口より馳むかひ、伊, 森武藏守長一か羽黒乃陣を破なへしとの仰により、信昌手勢千餘人を, 奈郡を經て諏訪に着陣し、軍忠をは〓あす、こ〓により恩賞とし〓遠江, 處の羽黒八幡乃森の要害を攻撃、兩陣小川を隔〓、輕卒を出し銕炮を發, 率〓、酒井忠次及ひ松平主殿頭家忠、松平又七郎家信等と犬山表に發向, 卒等利を失ひ、其備崩れたつを見て、味方乃諸士馬に乘連急に追立、その, ふのとき、横須賀の城を守るへきむ手御書をたあふ、これ城主大須賀五, あり、信昌か家臣奧平喜七郎某其躰を見て、忽銕炮を發ちて彼敵をうち, はとて、大般若長光の御刀をたあふ、八年夏、遠江國高天神の城を攻たま, おとす、これにより長一か軍士等おとろき騷くところを、信昌眞先にす, 國榛原郡を賜ふ、十二年三月、小牧陣乃ときしたかひたてまつり、十七日、, 元和元年三月十四日, 賀城ヲ守, 從フ, 小牧陣ニ, ニ從フ, 甲州征伐, 遠江横須, 元和元年三月十四日, 九二七

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  • 賀城ヲ守
  • 從フ
  • 小牧陣ニ
  • ニ從フ
  • 甲州征伐
  • 遠江横須

  • 元和元年三月十四日

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  • 九二七

注記 (24)

  • 757,686,58,2133ていとみ戰はしむ、時に敵の斥候とみ〓〓、馬をめくらし指揮す多もの
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