『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.930

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

うきて京都の制法を掌る、, 奉し、十四日、大垣南宮山等の敵を押へむかため後陣に備ふ、二十日、仰を, この時にあたり〓、石田三成か殘黨安國寺慧瓊、本願寺乃端の坊にかく, 生捕、其間に家臣十二人、平井、長坂か爲に討れしかと、終に二士をもうち, みやの母人をはせてこ〓を捕へむとす、慧瓊か家人平井藤九郎某、長坂, てなし、二人これにそふ〓東寺の方にむかひ走る、信昌か軍士等これを, 察し追〓急なり、平井、長坂等、遁れつたきをしり、刀をもつて肩輿の外よ, これを顧すして慧瓊をくみぬをたり、時に慧瓊左の〓に傷くといへと, 取、則慧瓊を大津の御館に獻をしかは、彼か帶せしところ乃正宗の脇指, も、猶庖丁正宗乃小脇指をぬきて信商を〓むとせしを、奪ひ取〓こ〓を, 長七郎某、はやくこの事をしりて、慧瓊を肩輿にのせ、病あなか如くにも, を生捕むとをしを、彼兩士うしろより信商を討むとすといへとも、敢て, り慧瓊をつき、こ〓をすてゝ相戰ふ、信昌か家臣鳥居庄右衞門信商、慧瓊, なゝのよし、もと近江先方の士閑鎭といふ僧、密に信昌に告しにより、す, をたまふ、六年三月、舊領をあらためて、美濃國乃うちにをいて十萬石を, 元和元年三月十四日, ○奥平漸家譜ニハ、「信昌京師諸司職トナル、板, 倉勝重、加藤正次、大久保長安副タリ」トアリ、, ○奥平, 安國寺慧, 瓊ヲ生捕, 法ヲ掌ル, 京都ノ制, 關原役ニ, 從軍ス, 九三〇

割注

  • ○奥平漸家譜ニハ、「信昌京師諸司職トナル、板
  • 倉勝重、加藤正次、大久保長安副タリ」トアリ、
  • ○奥平

頭注

  • 安國寺慧
  • 瓊ヲ生捕
  • 法ヲ掌ル
  • 京都ノ制
  • 關原役ニ
  • 從軍ス

ノンブル

  • 九三〇

注記 (26)

  • 1690,702,55,787うきて京都の制法を掌る、
  • 1796,703,67,2149奉し、十四日、大垣南宮山等の敵を押へむかため後陣に備ふ、二十日、仰を
  • 1561,706,69,2152この時にあたり〓、石田三成か殘黨安國寺慧瓊、本願寺乃端の坊にかく
  • 392,703,66,2143生捕、其間に家臣十二人、平井、長坂か爲に討れしかと、終に二士をもうち
  • 1326,712,69,2137みやの母人をはせてこ〓を捕へむとす、慧瓊か家人平井藤九郎某、長坂
  • 1091,709,67,2135てなし、二人これにそふ〓東寺の方にむかひ走る、信昌か軍士等これを
  • 974,704,70,2139察し追〓急なり、平井、長坂等、遁れつたきをしり、刀をもつて肩輿の外よ
  • 623,711,68,2134これを顧すして慧瓊をくみぬをたり、時に慧瓊左の〓に傷くといへと
  • 275,707,64,2140取、則慧瓊を大津の御館に獻をしかは、彼か帶せしところ乃正宗の脇指
  • 508,707,69,2140も、猶庖丁正宗乃小脇指をぬきて信商を〓むとせしを、奪ひ取〓こ〓を
  • 1212,703,66,2144長七郎某、はやくこの事をしりて、慧瓊を肩輿にのせ、病あなか如くにも
  • 741,710,68,2138を生捕むとをしを、彼兩士うしろより信商を討むとすといへとも、敢て
  • 854,706,70,2143り慧瓊をつき、こ〓をすてゝ相戰ふ、信昌か家臣鳥居庄右衞門信商、慧瓊
  • 1447,713,63,2137なゝのよし、もと近江先方の士閑鎭といふ僧、密に信昌に告しにより、す
  • 158,717,62,2129をたまふ、六年三月、舊領をあらためて、美濃國乃うちにをいて十萬石を
  • 1924,706,44,378元和元年三月十四日
  • 1715,1505,53,1339○奥平漸家譜ニハ、「信昌京師諸司職トナル、板
  • 1665,1504,52,1283倉勝重、加藤正次、大久保長安副タリ」トアリ、
  • 1726,1504,42,185○奥平
  • 1504,267,44,173安國寺慧
  • 1460,267,42,173瓊ヲ生捕
  • 1681,268,41,161法ヲ掌ル
  • 1723,268,45,172京都ノ制
  • 1841,265,43,161關原役ニ
  • 1798,267,41,119從軍ス
  • 1913,2432,42,121九三〇

類似アイテム