『大日本史料』 11編 9 天正12年9月 p.169

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めにや、なんの後詰と云て不用、然所に夜のほの〴〵明に、今濱表に人數見ゆる、すは利家, は、夜明ば利家後詰すべし、後卷有之ば、味方敗軍うたがひなし、夜中にむりに城をせめ落, 右衞門也、此三人同事と利家公御批判在事、さゝら城戸堀切の所にて也、土肥伊豫討死の, てもや在けん、氏春は前後成政と一所に坪井山に居られたり、氏春、成政へ度々被申ける, 後氏春のそばに居て、慥に知りたるとて、常にかたりけるとて、二代作右衞門語る、, らあわをかみ、はぎりをして居られたり、旗本しづまり、各鑓を取、番ざし物、金ののし、坪, くつきやうのすくやか者どもなり、是を頭どもに川尻へ遣しおかれたり、金澤の押へ心に, 井山はさながら金山のごとし、扨先手末森城せめ衆敗軍を見て、旗本は次第を守て退く、, 後詰よと云ほどこそ在けれ、旗本少しいろめく、成政せうぎに腰を掛、城の方をにらみ、し, 四町二十間、押水海道へ出、ねりこ山迄は八町五十間、此通、されば本城よりねりこ山迄は, したまへといへども、成政何とかおもはれけん不用、氏春被申は、今度利家後詰せずんば、, 一代男はなるまじ、そこの所を思召候へ、うむに後詰なるべしといへども、成政運のきは, 所は、町口のねりこ山と云所也、門口よりさゝら城戸迄二町四拾間、城戸より押水海道迄, 一段見事なりと云々、右は土田作右衞門親土田作右衞門、神保氏春の子小姓にて、其時前, 〔關屋政春古兵譜〕一能州末森にて、一番鑓富田六左衞門、二番野村傳兵衞、三番山崎彦, 天正十二年九月十一日, 天正十二年九月十一日, 一六九

  • 天正十二年九月十一日

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  • 一六九

注記 (18)

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