『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.141

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官より銀七枚を賜ふ、藏むる所の文書は皆文書部に出せり、, すといふ、, 谷の郷里に遁れすむ、八月二十二日、盛重根來寺の法師等をひきゐて、濱松の城下にい, りて、三谷領川筋にて鐵炮御免あり、安永年中百姓騷動の時、鎭撫宜きを得たりとて、, 其文に依りて考ふれは、經澄の先祖より此地を領する由にて、三谷の住居は寛治よりは, 〔寛政重修諸家譜〕, 西の苗字とを賜ふ、南龍公御狩の時當家に入せられ、兵庫助同忠か炮術・騎射等御覽あ, 猶古き事なるへし、又明徳三年紛失状一通を藏む、今按するに、同郡市脇村醫王寺に大, 根來盛重, なる古墳の窟あり、其傍に大なる五輪の石塔二基あり、一は文字詳ならす、一は坂上長, 閤根來攻の時、若山口を固め、又根來西坂本を守る、凱陣の後、其賞として陣羽織と山, ○以下根來雜賀等一揆ノコトニカヽル、, 澄建之とあり、是山西家の先祖なるへし、子孫左衞門督經同といふもの、天正年中豐太, 家傳に、其祖は散位坂上□の裔にて、經之寛治三年より三谷村に住し、此近邊の地を領, 十三年、豐臣太閤根來寺を燒て破却す、このとき衆徒等散亂し、盛重もまた和泉國熊取, 寛治三年領地山の事に因りて、請裁定の解状、并に證判の文書を藏む、, 小左次、大納言, 坊、右京進, 家系に, 十九, 千六, よる、, テ若山口ヲ, 秀吉ニ應ジ, 固メ根來西, 山西經同, 坂本ヲ守ル, 根來盛重, 天正十三年三月二十一日, 一四一

割注

  • 小左次、大納言
  • 坊、右京進
  • 家系に
  • 十九
  • 千六
  • よる、

頭注

  • テ若山口ヲ
  • 秀吉ニ應ジ
  • 固メ根來西
  • 山西經同
  • 坂本ヲ守ル
  • 根來盛重

  • 天正十三年三月二十一日

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  • 一四一

注記 (30)

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