『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.211

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するといへとも、終に約を背き、兵を出し不救と云々、, 年々祓を納む也、又其頃岩崎は腹卷か聟なる故、大勢の者分て兩方に忍はせ置と云, 山へ馳込隱れ、忍者・俗僧となりて多く集り居たり、依て此軍にも、是等の者共打, 々、此時關山水鏡の御影を持退て、腹卷方に今に在之也、餘り火急成故、是計は持, 〔根來寺燒討太田責細記〕抑南紀那賀郡大傳法院根來寺ト申者、人皇七十四代鳥, 廿二日不殘滅亡仕候、根來法師或は討死、或は國々へ流浪仕候而忍ひ罷在る、, 退たる由申傳る也、然とも腹卷か方にては、關山法繁昌の祈願を籠めらるゝに依て、, 御師也、此縁を以兩太夫方へ忍ひ居候者も有之也、此故に、今ニ兩御師根來百人へ, 交り出る也、沒落して所々へ身を隱す、又伊勢内宮御師腹卷・岩崎の兩太夫根來の, 此御影を内宮へ寄附し置るゝ由申傳る也、, 此頃亂世の時成に依て、諸國の城主、或は大將分・諸士等合戰に打負たる者、根來, つ處に、鐵砲藥に移り、堂塔一度に燃上る故、忽沒落と云々、又云高野山とも内々申約, 根來寺并所々の出張へ被攻向候故、所々に於て防戰仕候得共、終に天正十三乙酉年三月, 山に一族の縁有て案内者多し、故に搦手の閑道を忍ひ、鹿道をつたひ行て山上に火を放, ハズ, 僧兵來リ救, 根來山ニ隱, 戰ニ參加ス, 金剛峯寺ノ, 遁セル武士, 天正十三年三月二十一日, 二一一

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  • ハズ
  • 僧兵來リ救
  • 根來山ニ隱
  • 戰ニ參加ス
  • 金剛峯寺ノ
  • 遁セル武士

  • 天正十三年三月二十一日

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  • 二一一

注記 (22)

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