『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.169

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これを固辭み、此地に止りて禪波を澂しめん事を請ふ、勅してこれを允許す、是に於て, 爭訟常に止時なし、上人滅後百有餘年を歴て、寛元の頃に至りて、山徒蜂起して傳法院, 天下大に亂れ、各處掠奪を事とす、大伽藍の地及領内廣き者、常に兵仗を帶ひて防禦を, 密嚴院あり、堂塔・祠宇其中に充付し、子院九十八院諸谷の中に〓盈す、足利氏の中世, 基址を根來山に移して殿堂を營造し、大會をこゝに張行す、これより野山に住居の僧徒、, るに至る、根嶺の僧徒最其甚しき者にして、兵威を四方に輝し、掠奪を事として、四隣, り住し、大法會を執行ふ事故の如し、然れともこれより後、古義・新義法流二つに分れ、, 居る、上皇此を聞し召され、野山兇暴の僧徒を罪して、上人を歸山せしめんとす、上人, 皆根嶺に移住せり、伽藍の區域四つに分る、圓明寺あり、豐福寺あり、大傳法院あり、, 事とす、僧徒の兵仗を執る事防禦に起るといへとも、後は戰爭を事として掠奪を專とす, す、新義眞言一流ノ鼻祖たり、これに由りて野山より從ひ來る僧徒又皆野山傳法院に還, 圓明寺を創し、佛閣・神祠・僧坊等數十區を造らしめ、勅願所とす、一乘山圓明寺と號, を放火す、堂塔僧坊一宇も殘らす燒亡す、正應元年、傳法・密嚴二院及諸堂舍・僧坊の, 上人おもへらく、此地役優婆塞經行の地にして、形勝高野に讓らすといふと、遂に茲に, 天正十三年三月二十一日, 寺大傳法院, 圓明寺福, 四ツニ別ル, 子院九十八, 伽藍ノ區域, 密嚴院, 院, 天正十三年三月二十一日, 一六九

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  • 寺大傳法院
  • 圓明寺福
  • 四ツニ別ル
  • 子院九十八
  • 伽藍ノ區域
  • 密嚴院

  • 天正十三年三月二十一日

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  • 一六九

注記 (24)

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