『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.414

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興山寺の開祖興山上人應其といひしは、木食修行の僧なりしか、世には又木食上人とも, りて修禪練行す、秀吉關白世を知給ひし初に、紀伊國高野・根來の僧徒等やゝもすれは, 申せし也、此上人、本は近江の守護佐々木の流にて、三十七の時に出家し、高野山に登, を以其期とす、應其大悲願を發し、いかにもして、大厄難を穰ひて佛祖の恩に報ふへし, 我山の再興を致へしといふ、大衆大きに力を得て、是則曩祖大師再來して、我山を中興, の至なりとて、天正十三年の春、自ら十萬餘騎の兵を引具し、國中の要害をこと〳〵く, 野の大衆會合して、僉議はかるに、防戰へき義勢もなく、大師の靈跡破滅せん事、此時, 打破て、うたるゝ者二千餘人、先根來寺に攻入り、堂塔寺院こと〳〵くに燒亡する、高, とおもひ、此僧か申旨に任せられは、一身を以て大衆の命に代り、秀吉の軍を退けて、, 古伊都郡・南賀郡半分有寄附、就于中於高野山寺領者、累代有諸役免除之尊諚者也、, 大師の手印等を受取て、秀吉の陳に行向ひ、此山ほろほさるへき事、然るへからさる事, 甲冑をよろひ、弓箭をとりし、其國を押妨る事、佛法にも違ひ、王法にも背き、甚無道, したまふ所也、いかてかのたもふ旨に背く者あるへきといふ、應其やかて嵯峨天皇曩祖, 〔高野山事略〕木食上人高野山を再興せし事, 印ノ縁起等, 應其空海手, ヲ帶ビテ秀, 吉ニ面〓ス, 天正十三年四月十日, 四一四

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  • 印ノ縁起等
  • 應其空海手
  • ヲ帶ビテ秀
  • 吉ニ面〓ス

  • 天正十三年四月十日

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  • 四一四

注記 (20)

  • 1521,677,60,2234興山寺の開祖興山上人應其といひしは、木食修行の僧なりしか、世には又木食上人とも
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