『大日本史料』 11編 15 天正13年4月 p.241

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〔參考〕, 遠藤山城守殿, 〔紀伊續風土記〕, 近く南に連りて、萬松蓊欝として龍蟠虎踞の勢あり、紀川東より來て郭北を繞て襟帶の, に拓て、那賀・名草の曠野一瞬の中にあり、西蒼海に臨て淡阿の諸山指點すへし、岡山, て特起せり、南に長峯あり、北に葛城ありて屏障を列するか如く、其中間豁然として東, 峰なといひし地にて、名草・海部兩郡の界にして雜賀莊に屬す、四面曠廓の中崛然とし, 形をなせり、天正十三年、豐臣太閤根來寺を滅し、太田城を降し、國中を統一して羽柴, 若山或は和歌山とも書す、元祿年中若山の文字に定めらる、若山の城地は岡山又は吹上, ○秀吉、紀伊ヲ征スルコト、三月二十一日ノ條ニ、黒田孝高・一柳末安ニ四國出陣, ヲ命ズルコト、本月四曰ノ條ニ見ユ、, 申聞候、謹言、, 七月二日, 七月二日秀吉, 兩國不殘申付候條、於時宜は可御心易候、猶宗洗に(, 總論, 秀吉, 二日ノ條ニ收ム、, 略ス、全文ハ七月, 若山部上, に」ナシ、, ○石母田文書, ○本文書、, 略ス、全文ハ七月, 四, 上ノ數條, 二日ノ條ニ收ム、, 元祿年間町, 定ム, 名ヲ若山ト, 天正十三年五月八日, 二四一

割注

  • 若山部上
  • に」ナシ、
  • ○石母田文書
  • ○本文書、
  • 略ス、全文ハ七月
  • 上ノ數條
  • 二日ノ條ニ收ム、

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  • 元祿年間町
  • 定ム
  • 名ヲ若山ト

  • 天正十三年五月八日

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  • 二四一

注記 (32)

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