Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
了空院殿見山常性大居士, 〔西條誌, 二あり、其家來の從死せるを葬れる也、小門あり、板墻あり、往來の官道に當るを以、, 經過の人敬ひ憚りて路下に又小逕を付それを通りて、本道を渉るもの少し、, 東谷と云處の下往還大道の南にあり、, 右の通りの率徒婆を二百五十年忌に其遠孫周五郎と云ものより建たるか遺れり、周五郎, 丹民部の末孫成よし、民部の墓は西泉村にあり、此人高峠石川氏の長臣にて、天正の, に見へたり、墓は小石少し積上、二尺許の自然石を建、文字なし、左右に同し位の石豕, 六郎と云ものと戰ひ、此處にて差違て死すといふ事、河野軍記・澄水記・天正陣實記等, 家は福武村にあり、民間に零落す、實岳忠岳は從死の兩士也、, 實岳良貞居士, 天正十三年の亂に、藝州の士吹上, 〔西條誌〕, 實岳良儀居士, 丹民部, 庄屋定藏, の墓, 觀無相大居士、寺川丹後守祐安、天正十三年乙酉七月三曰とあり、, 〔忠〕, 黒瀬山, か屋敷内に籠る, 思はるれ共、事歴慥に分り難し、, 墓地は百姓傳左衞門, 此近郷の士にて高峠へ籠りたる人, ○下, 西泉村, 十一, 觀無相大居士、寺川丹後守祐安、天正十三年乙酉七月三曰とあり、, 略, 寺川丹後守殿守本尊也、子孫持傳しを當院へ納む、法名智明院殿心, 九, 丹民部ノ裔, 丹民部, 異説, 天正十三年七月十七日, 二二七
割注
- 黒瀬山
- か屋敷内に籠る
- 思はるれ共、事歴慥に分り難し、
- 墓地は百姓傳左衞門
- 此近郷の士にて高峠へ籠りたる人
- ○下
- 西泉村
- 十一
- 觀無相大居士、寺川丹後守祐安、天正十三年乙酉七月三曰とあり、
- 略
- 寺川丹後守殿守本尊也、子孫持傳しを當院へ納む、法名智明院殿心
- 九
頭注
- 丹民部ノ裔
- 丹民部
- 異説
柱
- 天正十三年七月十七日
ノンブル
- 二二七
注記 (36)
- 878,739,55,626了空院殿見山常性大居士
- 373,658,73,261〔西條誌
- 1246,681,60,2216二あり、其家來の從死せるを葬れる也、小門あり、板墻あり、往來の官道に當るを以、
- 1129,683,57,1925經過の人敬ひ憚りて路下に又小逕を付それを通りて、本道を渉るもの少し、
- 1619,681,56,945東谷と云處の下往還大道の南にあり、
- 624,678,62,2259右の通りの率徒婆を二百五十年忌に其遠孫周五郎と云ものより建たるか遺れり、周五郎
- 252,679,63,2245丹民部の末孫成よし、民部の墓は西泉村にあり、此人高峠石川氏の長臣にて、天正の
- 1367,683,62,2247に見へたり、墓は小石少し積上、二尺許の自然石を建、文字なし、左右に同し位の石豕
- 1491,682,60,2253六郎と云ものと戰ひ、此處にて差違て死すといふ事、河野軍記・澄水記・天正陣實記等
- 505,681,57,1583家は福武村にあり、民間に零落す、實岳忠岳は從死の兩士也、
- 935,913,56,335實岳良貞居士
- 1615,2068,57,867天正十三年の亂に、藝州の士吹上
- 1735,659,74,264〔西條誌〕
- 819,909,57,343實岳良儀居士
- 1745,1159,52,167丹民部
- 384,1158,54,197庄屋定藏
- 1742,2048,54,101の墓
- 1852,679,43,1287觀無相大居士、寺川丹後守祐安、天正十三年乙酉七月三曰とあり、
- 783,908,36,62〔忠〕
- 368,968,40,125黒瀬山
- 1604,1671,39,305か屋敷内に籠る
- 1728,1334,41,621思はるれ共、事歴慥に分り難し、
- 1646,1662,41,395墓地は百姓傳左衞門
- 1772,1331,42,694此近郷の士にて高峠へ籠りたる人
- 534,2306,38,77○下
- 1731,970,37,125西泉村
- 413,969,40,67十一
- 1852,680,44,1282觀無相大居士、寺川丹後守祐安、天正十三年乙酉七月三曰とあり、
- 488,2303,39,36略
- 1895,679,45,1316寺川丹後守殿守本尊也、子孫持傳しを當院へ納む、法名智明院殿心
- 1774,971,37,37九
- 273,339,39,218丹民部ノ裔
- 1756,338,38,125丹民部
- 1881,338,40,80異説
- 136,852,42,429天正十三年七月十七日
- 131,2407,41,122二二七







