『保古飛呂比』 保古飛呂比 2 元治1年~慶応3年 p.301

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歳を經るも衰へざりき、公即ちその墓側にて前掲の御詩を賦せし也、眞に民に父母たる人君の徳, り、手順等に日時を費し、如何ともする能はず、同氏〓然として、命を待たず、官の米倉を開き、, も立直りぬ、又國内御巡覽之節、能々〓寡孤獨を惠み、忠臣孝子の墳墓を弔ひ給ひしとぞ、其の, 一を云へば、安藝郡羽根浦に岡村十兵衞之墓あり、其墓を弔ひ給ふ時、御詩作あり、, 然れども、養徳公は盆々文武を奬勵して止まず、尤も吾藩は、武術は好めども、文學は免角相厭, 窮民を救ひ、法を破れるの罰を謝せんと、割腹して死す、浦民其徳を愛慕する事父母の如く、追, 岡村氏、浦役相勤めけるに、天明年間凶年に際し、饑民多く、官に救助を乞ふも、城下は遠隔な, ふ風習なれば、殊更に文事を勵まされたり、且儉約を御實行ありければ、僅に四五年に御勝手向, 爰に至り、又學問を俗輩より忌み嫌ふ風に歸らんとす、若年非軍讀書をすれば、「ヲコゼ」に成る歟, 不受命勝於受命忠魂赫々又彬々, 旅客更慕報國志美名長及子孫□, 見るべし、然るに後世、或は馬淵派の有用の人物を終身御用無之との御趣意を疑ふの説あらん歟、, と云ふあり、, 人間無他義兼仁有志勲鑑存此人, 士民仰望路畔古墳拂無塵, 卷十五慶應二年, 三〇四

  • 卷十五慶應二年

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  • 三〇四

注記 (17)

  • 351,572,59,2320歳を經るも衰へざりき、公即ちその墓側にて前掲の御詩を賦せし也、眞に民に父母たる人君の徳
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  • 1352,583,57,2306も立直りぬ、又國内御巡覽之節、能々〓寡孤獨を惠み、忠臣孝子の墳墓を弔ひ給ひしとぞ、其の
  • 1241,601,57,1994一を云へば、安藝郡羽根浦に岡村十兵衞之墓あり、其墓を弔ひ給ふ時、御詩作あり、
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