『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.54

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のかさま〳〵便りにまかせ、所縁に付て離散するもの多かりけり、扨亦當國の人民、近, 所詮慈愛のみを以て教諭せんとすれともはか行されは、此上は武威を以て邪民を正すへ, て通すへしと命せしに、さすか今迄當家に敵せしもの共なれは、後難をや怖れけん、お, すへし、若し我に從はんと欲する輩あらは申出へし、其器に應し扶助を與へて召仕ふへ, し、又公儀に訴訟の旨あらは其旨を執達すへし、また立去らんとするものは路をひらい, 仙石筑後と名乘らせ、一萬石の采地を遣はして家老とす、, と議して、郡邑に代官を置き、〓使を副て穿鑿釜せしむるといへとも、猶未進者多けれは、, 號を賜ふ、こゝにおいてまつ森九郎左衞門村吉か勲功を賞して、仙石の稱號を授與して、, 年來元親か爲めにかけ惱まされ、しは〳〵兵革のちまたとなり、馬蹄に田畑を踏荒され、, しとて、其張本安原甚太郎といふ者、香東郡安原山に匿れ住めり、此處は先主香西伊賀, 其上賦歛を虐せられしを申立、貢調を闕如する者尠からされは、仙石村吉・仙石久武等, 令を下して曰、當國は羽柴秀吉公より我に賜る所なり、國中に在る諸將各速に退去, 秀久高松城に入り、, 且桐ノ臺の〓, 十八萬石と記し、増田本家譜・森家譜及陰徳太平記・天正記等には、讚州一國の内二萬石を十河存保に賜はり、殘る, 天正十三年八月六日, 圓を秀久に賜ふと載て、其石數を載せす、秀吉〓地帳目録といふものには、讚岐國高松十二萬六千二百石とありて, 〔碑〕, 入封の, 森家, に知れ, も拾八萬石といふなれは、何程と定め難し、因て石高を本文に載せす、後證據を得て記すへし、, 月日詳, 此内二萬石を十河に賜ふとすれは、秀久の領せしは拾萬石餘なり、されと今に於て口牌ニ傳ふる所, す、, 譜, 圓を秀久に賜ふと載て、其石數を載せす、秀吉〓地帳目録といふものには、讚岐國高松十二萬六千二百石とありて, 十八萬石と記し、増田本家譜・森家譜及陰徳太平記・天正記等には、讚州一國の内二萬石を十河存保に賜はり、殘る, ヲ與へ家老, 秀久高松ニ, 讚岐ノ國衆, ニ仙石ノ姓, 秀久森村吉, 多ク離散ス, 入ル, トナス, 天正十三年八月六日, 五四

割注

  • 入封の
  • 森家
  • に知れ
  • も拾八萬石といふなれは、何程と定め難し、因て石高を本文に載せす、後證據を得て記すへし、
  • 月日詳
  • 此内二萬石を十河に賜ふとすれは、秀久の領せしは拾萬石餘なり、されと今に於て口牌ニ傳ふる所
  • す、
  • 圓を秀久に賜ふと載て、其石數を載せす、秀吉〓地帳目録といふものには、讚岐國高松十二萬六千二百石とありて
  • 十八萬石と記し、増田本家譜・森家譜及陰徳太平記・天正記等には、讚州一國の内二萬石を十河存保に賜はり、殘る

頭注

  • ヲ與へ家老
  • 秀久高松ニ
  • 讚岐ノ國衆
  • ニ仙石ノ姓
  • 秀久森村吉
  • 多ク離散ス
  • 入ル
  • トナス

  • 天正十三年八月六日

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  • 五四

注記 (38)

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  • 290,707,62,2232所詮慈愛のみを以て教諭せんとすれともはか行されは、此上は武威を以て邪民を正すへ
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