『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.166

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摩・八代の人々相籠てそ防きける、阿蘇家の軍兵數千騎押寄、混攻之こそ責こける、, つ捲つ戰て、是等も敵ヲ追退といへ共、茲悉く打死し、其身も數ケ所ノ手を負て今は, られける、木脇刑部左衞門は大手の口を堅けるか、諸軍兵を勇て今を最後と思切、追, 御赦しなけれは、命を依難背堪忍したり、於今は何まて可忍、いさ押寄可攻落とて、, 城中の兵、死を不顧骨を碎戰ける、左京亮は西ノ口を堅めけるか、勇士トモニ下知を, なし、二三度防き返されけれとも、敵猛勢なれは入替〳〵攻ける間、左京亮も數ケ所, 手を負、次第ニ身も弱りけれは、木戸の柵に寄かゝり、手を合十念して終ニ戰死を遂, 及力シて送りける處ニ、父宗運入道同年の夏老死せられける、相摸守、父存命の時は, 討人もうたるゝ人も戯の浮世の夢は今そさめける, 籠居たれは、無此類おもひ〳〵に戰死とも、喩ん方こそなかりけり、浮世にそかろき, と一首連て、眼近き敵ヲ追拂、終之打死せられける、薩摩・求摩・八代の流石の人々, 阿蘇家八千町を相催し、天正十三年八月十日之花山ニそ押寄らる、地頭職之は木脇刑, 部左衞門尉、薩摩入番に鎌田出雲守の一男左京亮、大將として各在番勉らる、其外求, 力なしとて、西の空を討詠、, 宗運ノ死後, 花山攻撃ヲ, 甲斐相模守, 決ス, 天正十三年八月十日, 一六六

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  • 宗運ノ死後
  • 花山攻撃ヲ
  • 甲斐相模守
  • 決ス

  • 天正十三年八月十日

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  • 一六六

注記 (20)

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