『大日本史料』 11編 21 天正13年10月1日 p.126

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軒有て、七月は火を燈す、, 給へとも、何とも可被成樣もなく、其夜は高田と云ふ所に, なし、自身迎に參へき間何れも具足を著候得とて、面々其用意し、城より南之方高田, 立歸て其由を申上ければ、扨はあの大軍二本松へ付ケ入ニせん事疑ひなしとて、急き, を渡り、高田山の上に物見石と云に上て見れは、算木をみたしたる如くにて打死也、, り、諸人瘧疾有れは、此松を削りて呑はおつるなり、又粟の巣を生害場と名付て松柳, と云舟渡しまて參候所に、向より味方の歩行士壹人大息をつき參て、加樣〳〵御大將, 十本計植て有り、瘧疾の者は木刀を作り上れは瘧ヲツルなり、此所の在所の家數四五, を初メ奉て壹人も不殘御討死なり、我等は歸て其段申せと被仰付遁れ參るよし申ける、, 一、二本松の城の留守居に新庄彈正, 急き川, 新庄も驚て又使を遣し、粟の巣の樣子を見て參れと申付られける、此使, 繼御供士三拾六人、其外雜兵五十餘人、壹人も不殘討死なり、正宗も早速御跡を慕ひ, 御陣を取、, 義繼の御死骸は、伊達方にて小濱の町頭小川の端に懸られけり、此所に松の木植て有, 城に歸りける、此凶事を義繼方の士聞て、證人を先に立て我も〳〵と籠城なり、新城, 被居候所、鐵炮二タ放し急に聞へ候得は、心元, 天正十三年十月八日, 武隈川と云舟渡し有、, 二本松より廿五六丁、阿, 失念候、, 名不知、, 心安ト, モ云、, 對應, 義繼遺臣ノ, 生害場, 天正十三年十月八日, 一二六

割注

  • 武隈川と云舟渡し有、
  • 二本松より廿五六丁、阿
  • 失念候、
  • 名不知、
  • 心安ト
  • モ云、

頭注

  • 對應
  • 義繼遺臣ノ
  • 生害場

  • 天正十三年十月八日

ノンブル

  • 一二六

注記 (29)

  • 1166,704,56,650軒有て、七月は火を燈す、
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