『大日本史料』 5編 1 承久3年7月~貞応2年5月 p.69

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

上申ましきとの事也, 寺を雲上寺と名付給ふよし、此山の縁起には見えたり、, そと勅意有りけれは、近裡船を守る者也と答へて化して去シぬ、依之此山の, とおほして、しめかさりをしておく、七夕に蟲はらひをする也、先年, にもはや發心にて老人なり、, 居たり、その皇子は、隱岐へ遷幸以後誕生とも云、又は御京住の内とも云、名, 寂等の文又一卷あり、西蓮は秀能か子なり、この隱岐への比は、西行秀能共, 賀茂の松下へ後鳥羽院の官女を被下、それに後鳥羽院の皇子をはらみて, は賀茂の茂氏と云皇子にて、殊外に御寵愛なり、これへの宸翰數通、尤松下, 神なる事をしろしめされて、山上の社に詣て給ひ、是よりして號を燒火山, の内室の官女にも御書あり、先八通なり、これを二卷にして有り、扠、西蓮西, 船中の吟、いまた齒牙を出し給はす、いかんして是を知れりや、翁は抑何人, は、叡覽ありたきと有れとも、終に門外不出の物にて有り、かくて御所へは, 松下は、後鳥羽院の官女の腹に懷胎して到るを、松下, に被下た宸翰もあり、めいよの物とも多し、今にひとつもちらす、罰あたる, 〔遠碧軒隨筆〕と, 〔遠碧軒隨筆〕人倫松下は、後鳥羽院の官女の腹に懷胎して到るを、松下, 後水尾, 院法皇, ○下, 略, 人倫, 氏王落胤, ノ説, 承久三年七月十三日, 六九

割注

  • 後水尾
  • 院法皇
  • ○下
  • 人倫

頭注

  • 氏王落胤
  • ノ説

  • 承久三年七月十三日

ノンブル

  • 六九

注記 (26)

  • 941,718,54,574上申ましきとの事也
  • 1470,716,63,1490寺を雲上寺と名付給ふよし、此山の縁起には見えたり、
  • 1683,717,64,1988そと勅意有りけれは、近裡船を守る者也と答へて化して去シぬ、依之此山の
  • 1155,722,65,1808とおほして、しめかさりをしておく、七夕に蟲はらひをする也、先年
  • 305,729,52,769にもはや發心にて老人なり、
  • 727,722,68,1998居たり、その皇子は、隱岐へ遷幸以後誕生とも云、又は御京住の内とも云、名
  • 407,722,72,1996寂等の文又一卷あり、西蓮は秀能か子なり、この隱岐への比は、西行秀能共
  • 834,717,67,1995賀茂の松下へ後鳥羽院の官女を被下、それに後鳥羽院の皇子をはらみて
  • 620,727,70,1991は賀茂の茂氏と云皇子にて、殊外に御寵愛なり、これへの宸翰數通、尤松下
  • 1574,714,69,2003神なる事をしろしめされて、山上の社に詣て給ひ、是よりして號を燒火山
  • 515,732,71,1985の内室の官女にも御書あり、先八通なり、これを二卷にして有り、扠、西蓮西
  • 1785,710,68,1996船中の吟、いまた齒牙を出し給はす、いかんして是を知れりや、翁は抑何人
  • 1048,734,68,1985は、叡覽ありたきと有れとも、終に門外不出の物にて有り、かくて御所へは
  • 1369,1302,65,1411松下は、後鳥羽院の官女の腹に懷胎して到るを、松下
  • 1258,711,68,2011に被下た宸翰もあり、めいよの物とも多し、今にひとつもちらす、罰あたる
  • 1338,675,99,461〔遠碧軒隨筆〕と
  • 1339,657,98,2062〔遠碧軒隨筆〕人倫松下は、後鳥羽院の官女の腹に懷胎して到るを、松下
  • 1198,2541,39,168後水尾
  • 1158,2542,38,167院法皇
  • 1512,2218,36,94○下
  • 1469,2217,38,38
  • 1353,1114,36,98人倫
  • 1386,386,36,152氏王落胤
  • 1344,389,37,72ノ説
  • 206,786,45,349承久三年七月十三日
  • 226,2348,39,74六九

類似アイテム