『大日本史料』 11編 別巻1 p.278

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ち、第四番目の者病みて、頗る危篤なるを以て、治療を助けんがためなり、, る薔薇を與ふべしと言へり、そののち彼等は午餐のために、バーデン侯とともに、ソラ公, 欲せり、この公子等には毎年同日に教皇がエルサレムの祭壇より持ち來れる祝福せられた, て、ローマ市の新吏員をして教皇に對する宣言を行はしめ、公子等にこれを見せんことを, れを記録す、, 日曜日, れたり、教皇は黒ビロード地に金の飾を施したる、既報の型の服を著け、彼等は緞子地, べし、彼等は、如何に驚くべきことにも驚歎を示さず、彼等の間にて密に驚き、熱心にこ, 纒へり、教皇は、カルヂナル・サルヴィアテ最初のミサを唱へしのちに、禮拜堂に於い, に乾きたる薔薇色の〓を施せしものを纒ひ、樞機卿等は薔薇色の下著に、同じ色の衣を, 〔爵の邸に赴けり、同侯は、贖罪のパードレより、僧院に於ける、食事及び睡眠につきて、彼, エステの樞機卿の醫師、カッタネオ、ティヴォリよりローマに來れり、これら日本人のう, 朝、日本の公子等は、徒歩にて禮拜堂の席の、既報せし如く教皇の右側に現, 五八五年四月三日, ローマより, ○三月三, 月四日二當ル, ○中, ○天正十三年一, 十一日、, 略, キ爲メ醫師, 使節等教皇, ヲ招ク, 二列ス, やんノ病篤, 廳禮拜堂二, 於ケル祭儀, 中浦じゆり, 天正十年是歳, 二七八

割注

  • ○三月三
  • 月四日二當ル
  • ○中
  • ○天正十三年一
  • 十一日、

頭注

  • キ爲メ醫師
  • 使節等教皇
  • ヲ招ク
  • 二列ス
  • やんノ病篤
  • 廳禮拜堂二
  • 於ケル祭儀
  • 中浦じゆり

  • 天正十年是歳

ノンブル

  • 二七八

注記 (31)

  • 1449,613,56,1908ち、第四番目の者病みて、頗る危篤なるを以て、治療を助けんがためなり、
  • 409,616,59,2293る薔薇を與ふべしと言へり、そののち彼等は午餐のために、バーデン侯とともに、ソラ公
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  • 644,620,57,2284て、ローマ市の新吏員をして教皇に對する宣言を行はしめ、公子等にこれを見せんことを
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