『大日本史料』 11編 別巻2 p.161

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

船すべし、, に集結せしめ、領境に赴きて日本の公子等を出迎へ、レヴェレまで伴なひたるのち、順路, に騎馬の長銃手全員をして、來る土曜日, 〔イタリヤ國マントヴァ文書館文書〕, 〔イタリヤ國マントヴァ文書館文書〕, 英明なる世子殿下は、我が顯榮なる大公殿下の命を貴下に傳へ、カザッカの貴紳全員、竝び, 一五八五年七月四日, (歐文材料第百五十號譯文), ピエトレまで到達せしめんことを命ぜらる、右公子等は水路當市に入るため、同所にて乘, 朝、貴下が殿下の輕騎兵全員をレヴェレ附近, マントヴァより, 大公殿下は、來る土曜日, マントアの司〓官、サン・ジョルジョ宛令書寫, ポンテ・モリノに赴き、日本, 伯爵フェデリコ・マッフェイ宛令書案, (歐文材料第百四十九號譯文), ○天正十三年六, 月七日ニ當ル, ○七月六日ニシテ、天正, 爵書記室文書, マントヴァ公, 爵書記室文書, 十三年六月九日ニ當ル, マントヴァ公, 十三年六月九日ニ當ル、, ○七月六日ニシテ、天正, ぴえとれニ, 出迎ヘシム, 輕騎兵ヲ率, ヰテ領境一, テ乘船ノ豫, 合セシム, 定, ヲぽんて, 貴紳長銃手, もりのニ集, 天正十年是歳, 一六一

割注

  • ○天正十三年六
  • 月七日ニ當ル
  • ○七月六日ニシテ、天正
  • 爵書記室文書
  • マントヴァ公
  • 十三年六月九日ニ當ル
  • 十三年六月九日ニ當ル、

頭注

  • ぴえとれニ
  • 出迎ヘシム
  • 輕騎兵ヲ率
  • ヰテ領境一
  • テ乘船ノ豫
  • 合セシム
  • ヲぽんて
  • 貴紳長銃手
  • もりのニ集

  • 天正十年是歳

ノンブル

  • 一六一

注記 (38)

  • 1083,580,54,247船すべし、
  • 1294,588,71,2301に集結せしめ、領境に赴きて日本の公子等を出迎へ、レヴェレまで伴なひたるのち、順路
  • 296,575,64,1030に騎馬の長銃手全員をして、來る土曜日
  • 704,574,79,1193〔イタリヤ國マントヴァ文書館文書〕
  • 1731,589,78,1188〔イタリヤ國マントヴァ文書館文書〕
  • 404,571,77,2302英明なる世子殿下は、我が顯榮なる大公殿下の命を貴下に傳へ、カザッカの貴紳全員、竝び
  • 964,661,56,488一五八五年七月四日
  • 705,2141,57,676(歐文材料第百五十號譯文)
  • 1182,585,67,2303ピエトレまで到達せしめんことを命ぜらる、右公子等は水路當市に入るため、同所にて乘
  • 1412,1740,62,1149朝、貴下が殿下の輕騎兵全員をレヴェレ附近
  • 965,1569,44,383マントヴァより
  • 1422,589,59,631大公殿下は、來る土曜日
  • 536,703,59,1191マントアの司〓官、サン・ジョルジョ宛令書寫
  • 287,2135,58,737ポンテ・モリノに赴き、日本
  • 1551,701,59,977伯爵フェデリコ・マッフェイ宛令書案
  • 1731,2150,58,737(歐文材料第百四十九號譯文)
  • 985,1173,44,297○天正十三年六
  • 943,1170,41,256月七日ニ當ル
  • 316,1626,50,481○七月六日ニシテ、天正
  • 694,1826,43,260爵書記室文書
  • 1771,1850,38,247マントヴァ公
  • 1723,1840,43,256爵書記室文書
  • 276,1630,43,430十三年六月九日ニ當ル
  • 742,1840,37,246マントヴァ公
  • 1402,1237,47,459十三年六月九日ニ當ル、
  • 1445,1234,48,483○七月六日ニシテ、天正
  • 1202,210,41,203ぴえとれニ
  • 1350,208,43,210出迎ヘシム
  • 1440,209,42,218輕騎兵ヲ率
  • 1395,212,41,195ヰテ領境一
  • 1157,210,42,216テ乘船ノ豫
  • 312,191,36,163合セシム
  • 1114,204,41,41
  • 400,198,39,166ヲぽんて
  • 443,193,41,217貴紳長銃手
  • 354,192,39,217もりのニ集
  • 197,728,47,257天正十年是歳
  • 184,2403,46,97一六一

類似アイテム