『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.455

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知とは、大聖文殊の淨土を申とかや、そも城地を、何故に佛土には比しける, 學、圍碁に達し、天文に長し、未然を能鏡み、殊に當世の能書也、當國の手書は、, 五臺山に異らす、五臺高く聳へ、文殊の頂に五〓あるに似たれは、誠に文殊, んか、其上河中の字を、濁にて唱たるも惡しけれはとて、邦君忠義公の御時、, 八人とも云、是等を第二とす、似白以下は、常の書翰感状等を調へ、十二人は, 凡國用の事を記けるとそ聞へし、城下次第に繁昌して、九年の蕃をなす、然, 五臺山竹林寺之住侍空鏡上人に仰て、河中山を改て、高知山と號しける、高, 三人六人十二人と云習はす、三人とは、吉田次郎左衞門、中島與市兵衞、佐川, は、貴賤是を悲みける、是直事にあらす、併河中と云へる名によるものなら, 院竹林寺といふ、文殊大士應現の靈區、行基菩薩草創の勝境也、此山震旦の, そと、事の意を尋ぬれは、是より一里計東に山あり、五臺山と號し、寺を金色, 信濃入道已閑、是を能書の第一とす、六人とは、横山九郎兵衞、吉良似白、僧覺, 仁、西山次右衞門、國澤仁左衞門、寺西某也、一説、松田與四郎、曾田某を加へて, るに一の難儀なるは、洪水度々出て、四方の堤を壞し、城下の町へ押入けれ, か、今又一豐公居城とし給ひ、國府となるこそ不思議なれ、次郎左衞門は、歌, 慶長八年八月二十一日, 書家, ノ由來, 土佐ノ能, 高知ノ名, 慶長八年八月二十一日, 四五五

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  • 慶長八年八月二十一日

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  • 四五五

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