『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.550

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られ、朱印をたまふ、元龜元年、姉川の役に先かけし、敵數人を射殺す、この, より、矢十筋を發して、八坂の塔の五重の窓に射こむ、其弓勢を後人に示, に、一揆蜂起して路次を遮りしかは、弓一張にして多勢を射拂ひ、恙なく, 各妻子を具して國々に遁れ去、光義も、美濃國にいたらんとせしところ, 年、坂本の戰にも戰功あり、二年、近江國に出張し、退陣のとき、淺井長政か, 兵を全してかへる、天正元年、越前の兵、近江國に出陣のときも、先にすゝ, を執て戰功をはけます、これよりさき、右府より、百貫文の釆地をあたへ, 國愛智、中島五郡のうちにをいて、一萬千貳百石をあて行はるゝのむね, 加増あり、騎馬歩卒の給地をあはせて、攝津國豐島、武庫、美濃國席田、尾張, んて敵兵を射おとす、のち長篠の役にも、また戰功あり、十年右府事ある, 軍士、味方のうしろをうたんとす、光義、柴田勝家か手にくはゝりて殿し、, 本國に歸る、そのゝち豐臣太閤に屬して、弓大將となる、のち秀次の命に, さんかために、すなはち彼矢を塔内に收む、慶長三年二月八日、太閤より, のとき、光義、安土の城に在、城中の士卒騷動し、守る事あたはさるにより、, 朱印をたまふ、五年、東照宮、上杉景勝御征伐のとき、したがひたてまつり、, 慶長九年八月二十三日, 光義秀吉, ニ屬ス, 光義ノ武, 地, 光義ノ采, 功, 五五〇

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  • 光義秀吉
  • ニ屬ス
  • 光義ノ武
  • 光義ノ采

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  • 五五〇

注記 (23)

  • 1705,726,68,2115られ、朱印をたまふ、元龜元年、姉川の役に先かけし、敵數人を射殺す、この
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