『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.552

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を繼て、美濃國加茂郡に住す、同國の住人武市太郎左衞門某、同右京某、八, 光義か射藝、并に往昔の戰功をたつねたまふ、光義終身のあひた、戰にの, のところ、東照宮の御前にめされ、石垣、矢狹間等を檢し、汝の思慮に應せ, さるところあらは、言上すべきのむね仰を蒙る、また御前に出ることに、, 長五年、關原御陣のとき、東照宮にしたかひたてまつる、のち遺跡を繼、七, 千五百石餘を知行し、四千七百十石餘を、弟茂兵衞光政、三千二百五十石, 餘を、久左衞門光俊二千五百五十石餘を、八兵衞光朝にわかちあたふ、, 百餘の兵を率ゐて、光政か居城をせむ、このとき、光政は敵數人を射痘し, より、御使をもつてたつねたまひ、八月二十三日卒す、年九十七、道林日祝, そむ事五十三度、感状四十一通を得たり、九年、病にかゝるのとき、東照宮, 大雲院と號す、領地武儀郡關村の大雲寺に葬る、室は、武市右京亮通春か, 光政大島雲八光義か二男、母は武市右京亮通春か女、弱年のとき、栗山氏, 光成母は通春か女、織田右府、及豐臣太閤にたかへ、しは〳〵軍功あり、慶, 城を出て奮戰し、終に勝利を得たり、のち、齋藤新五郎某に屬し、硯淵橋の, 女、, 慶長九年八月二十三日, 光義ノ葬, 三度, 戰ニ臨ム, コト五十, 光成, 所, 光政, 五五二

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  • 光義ノ葬
  • 三度
  • 戰ニ臨ム
  • コト五十
  • 光成
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  • 五五二

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