『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.553

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を下さる、, に屬し、薩摩陣のとき、鈴木孫三郎某、一揆の兵に圍まれ、事急なりしに、光, 政一揆ををひ拂ひ、孫三郎をたすく、歸陣のゝち、太閤光政をもつて使番, りて、明智光秀か聟織田信澄を征するのとき、長秀に屬して戰功あり、そ, りて、古江小次郎某、安養寺猪之助某等とともに、一番鎗を合す、のち太閤, のち、父か遺跡のうち、攝津國豐島、美濃國池田、加茂、武儀四郡のうちにを, となし、金の切割の指物をあたへられ、朝鮮征伐のとき渡海す、文祿四年, のち、制禁を犯す事ありて、改易せらる, 級を得たり、天正十年、織田右府事あるのゝち、丹羽長秀、神戸信孝とはか, の後、豐臣太閤、柴田勝家と、志津嶽にをいて合戰のときも、長秀か手にあ, いて、四千七百十石餘をわかち賜ひ、十四年七月二十五日、釆地の御黒印, 八月三日、太閤より、美濃國池田郡のうちにをいて、千石の地を加増せら, 光朝母き光成におなし、父か遺跡のうち、二千五百五十石餘を分ち賜ひ、, れ、朱印を與へらる、慶長五年關原の役に、東照宮にしたかひたてまつる、, 合戰及ひ攝津國伊丹の城攻、越後國猿倉野の戰等に、軍功をあらはし、首, 光朝, 慶長九年八月二十三日, 五五三

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  • 光朝

  • 慶長九年八月二十三日

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  • 五五三

注記 (18)

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