『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.576

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に、三成敗亡せしよしつけしらせたまひ、すそに敵陣にも、そのきこえあ, ち取、十月朔日黎明に、兼續軍を收めむとせしとき、義光父子、これを討て, りしとみえて、戸上山の陣營を燒て退かむとす、義光、やかて士卒に下知, して、追うたしめ、長井堤にいたり、凡千餘人を斬殺す、二十九日、ふたゝむ, 某、をよひ岩井備中某、その男松下木工某等、名あなものとも百餘人をう, 相戰ひ、水原常陸某をはしめ、首千五百八十餘級を得たり、味方にをいて, 庄内、をよひ大浦の城を攻落し、城主松下父子をはしめ、三百餘人を殺戮, 斬、凡數度のたゝかひに、味方にをいそも、江口五兵衞光堯父子、飯田播磨, も、死亡のもの、凡百餘人にをよへり、二日、志村伊豆則俊をして、景勝か軍, 會津勢を追う〓、凡これまて長谷堂三度の合戰に、上杉か軍將上泉主水, 士志毛次右衞門某か楯籠れる谷地郷の舊壘を攻しめ、志毛をはしめ、從, し、すてにして、仙道柳田城を陷しいれ、城主父子、をよひ男女五百餘人を, 士戸井半左衞門某、原八左衞門某等を降す、これより後も、白岩、寒河江、左, 澤、長崎、富並等の所々にをいて、合戰にをよひ、千五百人はつりうちとる, 某、加藤源右衞門某、新關備前清房、岩瀬和泉某、草苅善助某等、名ある輩二, 慶長十九年正月十八日, 二會津勢, ヲ敗ル, 義光頻リ, 五七六

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  • 二會津勢
  • ヲ敗ル
  • 義光頻リ

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  • 五七六

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  • 1788,682,60,2140に、三成敗亡せしよしつけしらせたまひ、すそに敵陣にも、そのきこえあ
  • 1202,690,65,2138ち取、十月朔日黎明に、兼續軍を收めむとせしとき、義光父子、これを討て
  • 1671,688,62,2136りしとみえて、戸上山の陣營を燒て退かむとす、義光、やかて士卒に下知
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