『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.598

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りしかは、御出馬ありて、彼城にむかはせたまふ、清宗したかひたてまつ, をのきけれき、この城を石川日向守家成に賜ひしに、甲州勢しは〳〵こ, 列し、奮ひ戰ひて首級を得たり、其餘、駿遠のあひた所々にをいて、甲軍と, 十日の夜、武田勢の要害鳶巣山を燒て、大に勝利を得たり、七月、諏訪原を, 其のちまた武田勢の押として、同國横須賀口、同笠村、梅田村を守りし功, 戰ひを接へ勇を勵す、十年、甲斐國に入せたまふにも、したかひまいらせ、, により、釜田、御厨の地を宛行はる、九年三月二十二日、高天神城の寄手に, かこませたまふにも、また鹽井原に陣し、武田勢を防く、のち、掛川、堀江等, 三年十二月二十二日、三方原御歸陣のゝち、夜に入、甲州勢、大澤左衞門佐, れを取むとす、ときに家成き、清宗か親族なるにより、仰をうけたまはり、, きて基胤をたすく、天正三年五月、長篠合戰には、酒井忠次か手に屬し、二, り、掛川の南なる、金打村に陣して戰を挑む、十二年五月、氏眞遂に掛川城, 援兵となりて、遠江國新坂のあたり鹽井原に陣して、甲軍をふせく、元龜, の軍功により、遠江國佐野郡上張、龜甲、榛原郡菅谷、三村の地をたまはる, 基胤かこもれる、堀江城をかこむときこへしかは、清宗命をうけ、はせゆ, 慶長十年十一月十日, 三方原ノ, 長篠ノ役, 役, 領地, 甲州討入, 五九八

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  • 三方原ノ
  • 長篠ノ役
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  • 甲州討入

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  • 五九八

注記 (22)

  • 1829,714,63,2120りしかは、御出馬ありて、彼城にむかはせたまふ、清宗したかひたてまつ
  • 1598,708,63,2138をのきけれき、この城を石川日向守家成に賜ひしに、甲州勢しは〳〵こ
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