『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.980

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參考落穗集〕三吹上御門外御石墻之事, 慥なる義に有之候となり、, 敷なと有之候か、大猷院樣御代迄の義に有之候也、右の外、大手の御橋初て, の樣なる惣搆への形有之、其土手には、竹木生茂り、四五ケ所計りに、海端へ, 上使にて、何れも橋の上に於て月見を仕候由達上聞候、依之御重の内を被, 古老傳へいふ、慶長中、江城御造營の時、西國、四國等の大名、各領知の木, 氈、うすべりなとを敷廣め、夜更迄大酒盛有之候所に、御本丸より御側衆を, 國隈本の大守として獻する所なりと言ふ、又其御門を入りて、直に升形の, 下置候との上意有之候と也、今時の耳より承候ては、誠しからす候得とも、, 石を船に積て獻上したり、既に御本丸、中の御門に向むて、右方の多門下の, 角石の、すくれて大き成か、臺石を肥後石と呼ふ、これ加藤肥後守清正、肥後, 外大手、内櫻田等の御門々々等立候ても、其内には、御老中方、諸役人衆の屋, 掛り候年の、八月十五夜清明に付、御老中方、何れも御申合にて、橋の上に、毛, 出入仕る輕き木戸門も有之候, むかふの石垣の中の大石に、大孤石と切付たる石と、小孤石と切付たる石, 其後、右の場所は、皆々御内曲輪に罷成, ), ○中, 事跡, 合考, 略, ○上, 略, 肥後石, 手ノ橋ノ, 老中等大, 石ノ獻上, 賞ス, 上二月ヲ, 諸大名木, 大孤石, 小孤石, 慶長十一年三月一日, 九八〇

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  • ○中
  • 事跡
  • 合考
  • ○上

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  • 肥後石
  • 手ノ橋ノ
  • 老中等大
  • 石ノ獻上
  • 賞ス
  • 上二月ヲ
  • 諸大名木
  • 大孤石
  • 小孤石

  • 慶長十一年三月一日

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  • 九八〇

注記 (34)

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