『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.117

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大輔康政と同座しけるに、溝口は秀吉の直參なるゆへに、上座に有て甚奢, 人成體は、ひとへに秀吉公の威によりての事なれは、其恩は取分てあつき, 康の家臣なれとも、溝口殿のこときものをは、扶持すへし、又我と武功を論, せんに、溝口とのは、我片手にも及はれまし、然るに、今此座上に居て、傍若無, レヌヘシ、其上重テ合戰ヲ挑ミ玉ハン爲ニアラサレハ、不入事トノ心得也、, 時、斥候ヲ出サレ、龍泉寺ノ人數ヲ見切ラセ玉ハント仰有ケレハ、榊原不入, 義也ト留申ケリ、是ハ斥候ノ侍、秀吉ヲ大軍ト見テ歸リテハ、味方ノ氣ヲク, たる氣色なり、康政は、十萬石を領すといへとも、末席に居て禮厚し、溝口は, 病氣なりとて、綿帽子をかふりたり、康政つねに彼か無禮を惡めは、座中に, ト云ノ心ナリトイヘリトソ、, 對して曰、各秀吉の恩を荷ふ事厚し、就中あつきは溝口殿なりと云、人々誰, か恩を荷はさらん、ひとり溝口をさゝるゝは故有にやと問ふ、康政、我は家, 〔前橋舊藏聞書〕六長久手御勝利ノ後、小幡ノ要害ヘ御馬ヲ入ラレケル, 〔明良洪範〕五溝口外記は、祿五千石にて、秀吉の使番なり、或時、榊原式部, トソ、, 康政ノ謙, 遜, 慶長十一年五月十四日, 一一七, 又

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  • 康政ノ謙

  • 慶長十一年五月十四日

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  • 一一七

注記 (20)

  • 1097,624,72,2230大輔康政と同座しけるに、溝口は秀吉の直參なるゆへに、上座に有て甚奢
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