『大日本史料』 12編 54 元和八年雑載 p.322

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勘右衞門某は初喜三と云へり、尾張國寶原の産地、御大祖若狹國高濱にて御草創の砌よ, 九月、潛に洛陽に趣せ給ふ時も御供し、同八年七月、古渡に移らせ給ひ、所領を賜ひ、, り附隨ひ奉りし臣なりけり、, 宗兵衞良峯一章は、藤十郎成章か嫡男也、, 玉ふ時, 慶長三年、, 同八年八月, 加賀の大聖寺へ轉し, 後御加増ありて三百廿五石を玉りぬ、, 同五年八月、, 四日、身まかりぬ、一章男子二人有、, 傑俊公小松へ移らせ給ひし後、慶長三年九月、所領を賜ふ, 伐井畷の事終て、利長朝臣と御中直り有へき旨を徳川殿へ申させ給ふの御使を奉り、同, に御座せし時立歸り、再仕へ奉り, 大阪兩度の御陣に從ひ參らせ、後當家を去て淺野か家に仕へしか、元和五年、棚倉, 御供して二百石を玉り、, 〔世臣譜〕○新發田市史資料二所收大津, ○下, 御供して、, 〓嫡男外記左衞門重成、父死して家を繼き、〓百, 本藩へ移らせ玉ふ時も, 成章男子五人有、, 嫡男一章家を繼き、, 十石、フルコト、八年正月十一日ノ第三條ニ見ユ, 五百石、是迄如何程, 賜ひしにや詳ならす, 一百三○幕府、長重ノ封ヲ棚倉二移シ五萬石ヲ與, 本家は尾張殿の藩中に、今も大津氏なりといふ, 、天正十一年四月二十七日ノ第一條ニ見ユ, 印紙を、かの家に藏せり、御, ○中, 系圖を見されは、其先祖いつれの系に出るを聞す、, 天正十九年に玉ふところの御, いつれの氏を娶しや、元文の記にも洩たり、又卒, 是より勘右衞門, いひ傳ふ, 三百, 慶長三年四月二日ノ條二見ユ, 御供記に, ○羽柴秀吉、溝口秀勝ニ加賀江沼郡ヲ與フル, ○豐臣秀吉、秀勝等ヲ越後二移ス「, 名あり, ○中, に改めしといふ、, (越後新發田), する年月、竝に何の職たるや聞かず、慶長十七年, 自筆なりと, 中, 略, 石, 臼川郡, 略, 略, 略, 使者ヲ勤ム, ヲ與ヘラル, 津勘右衞門, 後家康へノ, 嫡男重成家, 高濱ノ頃ヨ, 二仕フ, 淺井畷戰ノ, 後復仕ス, 勝ノ家臣大, 封ノ後采地, リテ淺野家, 城主溝口官, 長重小松移, 丹羽家フ去, 越後新發田, ヲ繼グ, リ溝口秀勝, 歿ス, 二仕フ, 元和八年雜載疾病・死歿, 三二二

割注

  • 十石、フルコト、八年正月十一日ノ第三條ニ見ユ
  • 五百石、是迄如何程
  • 賜ひしにや詳ならす
  • 一百三○幕府、長重ノ封ヲ棚倉二移シ五萬石ヲ與
  • 本家は尾張殿の藩中に、今も大津氏なりといふ
  • 、天正十一年四月二十七日ノ第一條ニ見ユ
  • 印紙を、かの家に藏せり、御
  • ○中
  • 系圖を見されは、其先祖いつれの系に出るを聞す、
  • 天正十九年に玉ふところの御
  • いつれの氏を娶しや、元文の記にも洩たり、又卒
  • 是より勘右衞門
  • いひ傳ふ
  • 三百
  • 慶長三年四月二日ノ條二見ユ
  • 御供記に
  • ○羽柴秀吉、溝口秀勝ニ加賀江沼郡ヲ與フル
  • ○豐臣秀吉、秀勝等ヲ越後二移ス「
  • 名あり
  • に改めしといふ、
  • (越後新發田)
  • する年月、竝に何の職たるや聞かず、慶長十七年
  • 自筆なりと
  • 臼川郡

頭注

  • 使者ヲ勤ム
  • ヲ與ヘラル
  • 津勘右衞門
  • 後家康へノ
  • 嫡男重成家
  • 高濱ノ頃ヨ
  • 二仕フ
  • 淺井畷戰ノ
  • 後復仕ス
  • 勝ノ家臣大
  • 封ノ後采地
  • リテ淺野家
  • 城主溝口官
  • 長重小松移
  • 丹羽家フ去
  • 越後新發田
  • ヲ繼グ
  • リ溝口秀勝
  • 歿ス

  • 元和八年雜載疾病・死歿

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  • 三二二

注記 (76)

  • 669,647,61,2273勘右衞門某は初喜三と云へり、尾張國寶原の産地、御大祖若狹國高濱にて御草創の砌よ
  • 1413,638,61,2251九月、潛に洛陽に趣せ給ふ時も御供し、同八年七月、古渡に移らせ給ひ、所領を賜ひ、
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  • 1537,662,61,2258伐井畷の事終て、利長朝臣と御中直り有へき旨を徳川殿へ申させ給ふの御使を奉り、同
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  • 1291,738,58,2185大阪兩度の御陣に從ひ參らせ、後當家を去て淺野か家に仕へしか、元和五年、棚倉
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