『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.208

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

兩人も莫大の御恩かふむりたる身なれは、此世になからふへくもあらす、, 家より齋米等格巖寺へ賜るよし定められぬ、是芳賀彌平次小祿に成ける, 然れとも一國の政務を執る兩人殉死せは、自の義を立るのみにて、幼君に, し事なれは、殉死せんと云、番大膳、芳賀内藏允申けるは、其元殉死せは、我等, 乃施物、芳賀か家より、格巖寺へ遣しけるか、元祿元年十一月五日に至り、御, 對し不忠ならん、爰を思へは、他の人口をかへりみす、幼君を守り立奉る所, 高木内記は、起臥の愛にはあらふと、無双の寵臣なり、此故にかねて覺悟せ, 興國公春秋に富させ給ふに、かくまて世を早ふし給へは、士民の悲歎は申, もさらなり、烈公幼くわたらせけれは、誠に暗夜に燈を失ふ心地せり、爰に, 故なり、烈公の御弟なからも早世し給へは、其言行事跡等、世に聞傳ふもの, 第□男備後守恒元殿の事は、慶長十六年誕生の條に載れは、爰に略して記, なし、, 高木内記殉死, 子孫なけれは家絶ぬ、其後年々齋米は云に及はす、追福, さす、, 内に有しを、和意谷, に改葬有し成たし, 利隆ノ寵, 臣高木内, 記, 恒元, 元和二年六月十三日, 二〇八, 元和二年六月十三日

割注

  • 内に有しを、和意谷
  • に改葬有し成たし

頭注

  • 利隆ノ寵
  • 臣高木内
  • 恒元

  • 元和二年六月十三日

ノンブル

  • 二〇八
  • 元和二年六月十三日

注記 (24)

  • 370,643,71,2224兩人も莫大の御恩かふむりたる身なれは、此世になからふへくもあらす、
  • 1550,631,67,2213家より齋米等格巖寺へ賜るよし定められぬ、是芳賀彌平次小祿に成ける
  • 253,646,74,2207然れとも一國の政務を執る兩人殉死せは、自の義を立るのみにて、幼君に
  • 488,645,72,2213し事なれは、殉死せんと云、番大膳、芳賀内藏允申けるは、其元殉死せは、我等
  • 1665,639,69,2209乃施物、芳賀か家より、格巖寺へ遣しけるか、元祿元年十一月五日に至り、御
  • 138,649,76,2208對し不忠ならん、爰を思へは、他の人口をかへりみす、幼君を守り立奉る所
  • 605,639,69,2211高木内記は、起臥の愛にはあらふと、無双の寵臣なり、此故にかねて覺悟せ
  • 841,637,68,2216興國公春秋に富させ給ふに、かくまて世を早ふし給へは、士民の悲歎は申
  • 725,643,67,2209もさらなり、烈公幼くわたらせけれは、誠に暗夜に燈を失ふ心地せり、爰に
  • 1433,635,65,2206故なり、烈公の御弟なからも早世し給へは、其言行事跡等、世に聞傳ふもの
  • 1198,635,67,2219第□男備後守恒元殿の事は、慶長十六年誕生の條に載れは、爰に略して記
  • 1323,639,50,136なし、
  • 961,783,57,412高木内記殉死
  • 1787,1204,62,1643子孫なけれは家絶ぬ、其後年々齋米は云に及はす、追福
  • 1083,642,52,135さす、
  • 1813,639,45,546内に有しを、和意谷
  • 1768,639,42,541に改葬有し成たし
  • 647,280,44,175利隆ノ寵
  • 603,282,42,172臣高木内
  • 559,283,42,41
  • 1201,278,44,86恒元
  • 1895,716,46,387元和二年六月十三日
  • 1906,2444,47,123二〇八
  • 1895,716,46,387元和二年六月十三日

類似アイテム