『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.186

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細川忠興ノ家臣有吉立行死ス、, もてあぞびて盆をうるものなかりしを、儒道のはやる比、二法印のもてあ, 書のわがしりたることにて註せられつるゆへ、見わけやすさに見そめ、そ, 後に差上よと申含、白石に舟を著け、猶又療養を加へ候得共不叶候、遺骸を, 差重り候故、忠興君への遺書を調、嫡子四郎衞門、看病之爲附添候に渡し、死, れよりはやり出て、兼好が本意もあらはれ侍れば、二法印ノ抄をし給はずは、, ぞびて、抄をしてをかれたれば、時の名人のもてあそぶゆへに、信仰して、儒, 菩提所萬歳山天聖寺に葬り、法名峯雲院松岩宗貞ト號、, いまにすたれてあるべきもの也、, 大坂の川口に而、十一月十四日死す共有、いふかし、, 藥に而快氣いたし、歸國に赴き候處に、備後國鞆と白石の間、舟中にて又々, 考に、異本に、立行五十一歳に而死、或同年二月十四日死なと有は誤也、又, 五十歳、初め病氣差發候節、於京都療治仕度旨願候而上京、盛芳院, 〔細川家記〕, 十二月十四日、有吉武藏守立行、備後國にて病死、行年, の, 立行妻縁樹院と云、, 六年五月十七, 無程尼と成、慶長十, 日、於小倉死す、, 淨慶、, 忠興七, 十三, ○吉田, ○下, 略, ノ死處, 有吉立行, 慶長十二年十二月十四日, 一八六

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  • 立行妻縁樹院と云、
  • 六年五月十七
  • 無程尼と成、慶長十
  • 日、於小倉死す、
  • 淨慶、
  • 忠興七
  • 十三
  • ○吉田
  • ○下

頭注

  • ノ死處
  • 有吉立行

  • 慶長十二年十二月十四日

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  • 一八六

注記 (30)

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