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岩槻の芳林寺に葬る、室は本多助大夫忠俊か女, 勘氣をかうふり籠居す、のち父祖の舊勳ををほしめされて、本領に復せ, と號す、, に屯す、千七日圍を解て軍を還のとき、勝頼か先陣御跡を追、正長及ひ日, 督秀政か勢にむかひ、甲首一級を得るといへとも、軍法を冒すにより御, しむ、十二月四日、佐々陸奧守成政、潛に濱松に來り拜〓するのとき、正長, 下部五郎八某返し合せ、甲首二級を討とる、十年甲斐國に討入せたまふ, をめされ、成政に示して、これ先祖より累代勇功の士なりと仰ありけれ, 忠房母は忠俊か女、天正十二年遠江國濱松に生る、慶長四年六月、はしめ, は、成政譜第の勇士おほき事を賀したてまつる、十五年駿府にをいて大, て台徳院殿にまみへたてまつり、御前にをいて元服し、御諱の字をたま, に敍任す、四月二十二日卒す、年四十二、道貴淨林院, 年四月十日、長久手の役に、三宅彌次兵衞某とゝもに抜驅して、堀左衞門, のとき、平原彌次郎某を討とり、御感ありて關兼吉の御刀をたまふ、十二, 番の頭となり、十八年小田原陣に供奉し、慶長四年三月、從五位下土佐守, ハり忠長とめさる、このとき青江次吉の御刀をたまひ、父か遺領を繼、, 慶長十三年正月二十六日, 今の呈譜全室, 道機快林院, 時, 第ニ勇士, 家康ノ譜, 芳林寺, 忠房, 佐々成政, 多キヲ賀, 役軍律ヲ, 犯シテ譴, 秀忠諱字, ヲ賜ヒ忠, ヲ蒙ル, 長久手ノ, 長ト曰フ, ス, 三七六
割注
- 今の呈譜全室
- 道機快林院
- 時
頭注
- 第ニ勇士
- 家康ノ譜
- 芳林寺
- 忠房
- 佐々成政
- 多キヲ賀
- 役軍律ヲ
- 犯シテ譴
- 秀忠諱字
- ヲ賜ヒ忠
- ヲ蒙ル
- 長久手ノ
- 長ト曰フ
- ス
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- 三七六
注記 (35)
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