『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.620

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ちかひ、夜のうちに召連候物を刺殺、我壹人たちん馬に乘て宿を立出被申, て、江戸樣へは御馳走ふりなく候を、家老小池清左衞門笑止かり、達て異見, を、主膳はあしく心得、我身の上を公儀へよろしからぬ樣に被申上候とて、, を宿の亭主見出し、いかなる人そとて追掛候へは、其追かけたるものとも, 有之候へとも不被用候、家康樣より、呉服なと度々小池に被下御懇被成候, とわたし合、きり合被申候つる、所の代官聞付見申候へは、前田主膳にて候, 其跡子息主膳に被下候、然る所に京伏見計に居住して、酒のみらくるひに, 伏見にて手討に切殺し、其日に八上へいそき歸り、小池子息をなくせられ、, れす候之故、本知丹波八上其儘被下候へとも、子息主膳無分別にて、身上は, 田徳善院玄以法印とそ申ける、後に都所司代になられ候、徳善院老後死去, たし被申候、親父は元來禪僧にて、内傳外傳の學術歌道に至るまて兼學し, 下候とて、小性さうりとり一兩人召連、近江の内みな口とやらんにて彌機, 小池田と日頃無等閑申合つる渡邊大膳、畑平大夫切腹させ、其後江戸へ被, て、才智深き人也しを秀吉被聞召及、被召出近習、右筆に被成、後は五奉行前, 之まゝ、六へつれのほりて、板倉殿へわたし申候、堀尾山城殿は、主膳殿姉聟, 酒色ニ耽, 慶長十三年六月是月, 六二〇

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  • 酒色ニ耽

  • 慶長十三年六月是月

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  • 六二〇

注記 (18)

  • 509,667,58,2222ちかひ、夜のうちに召連候物を刺殺、我壹人たちん馬に乘て宿を立出被申
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