『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.721

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たに八千石の地をたまふ, 御脇指を賜ひ、十年三月、台徳院殿洛にのほらせ給ふときも入せたまふ, りて五萬石を領し、のち東照宮御上洛のとき、濱松城に渡御あり、吉光の, として左平次か刃にかゝりて横死す、年二十八、觀翁淨喜圓通院と號す, をいて久米左平次某と、服部半八某と爭論にをよひしを、忠頼さゝへむ, 十二月二十二日、駿府城火災にかゝるにより、をほせをうけたまはりて, 普請を役す、十四年九月二十九日、水野市正忠胤か許にまねかれ、茶室に, 五千石をくはへらる、六年二月、松山をあらためて濱松城を賜ひ、加恩あ, 淺草の誓願寺に葬る、忠頼横死のことにより、城地を沒收せられ、妻子を, は江戸にめさる、室は織田源五長盆入道有樂か女、, 忠重母き有樂か女、慶長六年生る、十五年七月、武藏國深谷にをいて、あら, 〔寛政重修諸家譜〕, 水野忠重, .言母は信長の女、伯父勝成か養子、, 泉守、從五位下、, 十歳、, 時に, 藤十郎、惣兵衞、和, 十八, 五位下、從四位下、致仕號宗休、, 國松、藤十郎、六左衞門、日向守、從, 三百二, 市正、從五位下、, 勝成、, 〓初忠元、宗十郎, 忠胤, 葬地, 忠重, 慶長十四年十月十六日, 七二一

割注

  • 泉守、從五位下、
  • 十歳、
  • 時に
  • 藤十郎、惣兵衞、和
  • 十八
  • 五位下、從四位下、致仕號宗休、
  • 國松、藤十郎、六左衞門、日向守、從
  • 三百二
  • 市正、從五位下、
  • 勝成、
  • 〓初忠元、宗十郎
  • 忠胤

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  • 葬地
  • 忠重

  • 慶長十四年十月十六日

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  • 七二一

注記 (30)

  • 733,776,56,778たに八千石の地をたまふ
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