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供に候し、御近習に列す, に御下向あり、房川に御馬をとゝめられしとき、鈞命によりて、忠次はこ, 筑後守に敍任し、十五年より、父に代りて關東の代官職をつとむ、, の關を守り男忠政は御供に候す、九月關原陣のときは、川野是定房、大久, 保十兵衞長安、彦坂小刑部元戌等とおなしく小荷駄奉行をつとめ、凱旋, 忠武母は某氏幼なきより多病なりしかは、僧となりて鴻巣の勝願寺に, 勤め、十五年六月十三日卒す、年六十一、秀譽源長久運勝林院と號す、葬地, 住し、寛永十八年十一月十五日、紫衣を勅許あり、のち、鎌倉光明寺に轉住, 陣のとき、したかひたてまつり、慶長五年、上杉景勝を御征伐として、東國, の後從五位下備前守に敍任す、十三年下總國船橋太神宮造營の奉行を, 勝を御征伐として東國に御下向あり、房川に渡御のとき、仰によりて御, 忠家におなし、室は深津氏の女, のち、小島の本領を賜ふ、十三年從五位下, 忠政母は深津氏の女、天正十三年遠江國に生る、慶長五年東照宮、上杉景, す、, ○檀林誌ニ「深津彌右衞門妹、寛永二年四, 月二十二日死、葬勝願寺、號桂芳院明譽周, 六歳、, 光智照大禪, 時に十, 定尼」トアリ、, 襲職, 小荷駄奉, 〓願寺ニ, 葬ル, 忠武, 關東代官, 忠政, 行, 慶長十五年六月十三日, 三二三
割注
- ○檀林誌ニ「深津彌右衞門妹、寛永二年四
- 月二十二日死、葬勝願寺、號桂芳院明譽周
- 六歳、
- 光智照大禪
- 時に十
- 定尼」トアリ、
頭注
- 襲職
- 小荷駄奉
- 〓願寺ニ
- 葬ル
- 忠武
- 關東代官
- 忠政
- 行
柱
- 慶長十五年六月十三日
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- 三二三
注記 (31)
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