『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.94

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但馬、因幡、伯耆等の國々にをいて、歴年の合戰にしは〳〵軍功をあらは, をさたむ、後、この國を佐々陸奧守成政にあたへらるゝのところ、國民等, 肥後國にをいて、凶徒蜂起せしかは、長政奉はりてこれを鎭め、制法數條, 其苛政にくるしみ、亂をおこすにより、成政をよひ國中の士をめして對, し、太閤の幕下に昵近す、十一年八月朔日、さらに近江國甲賀、栗太兩郡の, り、十三年、和泉、紀伊兩國に兵を出すにより、其事にあつかる、閏八月二十, 決せしめらる、しかるに成政か罪あきらかなりしかは、長政命をうけて, 照宮と和議あるのとき、使をうけたまはりて往復し、朝日姫君, 一日、近江國高島郡の内にをいて、七千二百石を加増あり、十四年、太閤、東, 輿のときも、供奉して濱松城にいたり、是より東照宮の〓遇をかうぬる、, 眞木島にをいて、三千六十石をましあたへらる、これよりさき、攝津、播磨, 織田信雄と矛盾にをよひ、尾張國に進發のとき、軍中の諸事をつかさと, 十五年、太閤、筑紫征伐のとき、命をうけて軍事をはかり、九州悉平く、其後, 御入, うちにをいて、二萬三百石をあたへられ、大津、坂本兩城を領し, 京都の諸司代をつとめ、專ら政務をつかさとる、十二年、太閤, 慶長十六年四月七日, (所〕, 野考譜二, ○下ノ淺, 太閤, の妹, コトヽセリ, ハ、十二年ノ, レシ初, 長政ノ家, 康ニ知ラ, 九四

割注

  • 野考譜二
  • ○下ノ淺
  • 太閤
  • の妹
  • コトヽセリ
  • ハ、十二年ノ

頭注

  • レシ初
  • 長政ノ家
  • 康ニ知ラ

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  • 九四

注記 (28)

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