『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.125

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似合大家造り、殊更住む人富饒の躰也、行し人不審ニ思ひて、是は如何成處, 信玄沒落之後, ニ而、何によりて如此豐なるそやと問ふ、郷民答曰、此所土地惡敷して、昔き, 等道路に平伏して、是則淺野彈正樣の御嫡孫といゝ、甚恭敬すと也、また近, には危き故ありしに、寛優の計を以宥めらる、此恩徳今に慕ふて、歳首毎に, の政道をは、長政公に任し置て、秀吉は上洛有て後も、諸家の私意區々なり、, 長政公の證文を上座に備へ、家中上下の輩禮義をなすと也、又、伊達領ニは、, 雜穀さへ實なしにして、淺間敷經營耳せしに、淺野彈正少弼殿、當國御政務, 法令正しく相成候由、一ト年玄徳院殿, 長政公、仁義を重んし修られし故に、上下相和きて、終には一所の沒收もな, く、悉く本領安堵せしめ、則長政公より、家々に證文を渡し置事、就中、南部家, 領は此改を要とす、, 賦歛の過不及ある故に、長政公檢地を究て、其帙を改らる、今に至りて、仙臺惠, 甲州海道御旅行の時、郷民, も中絶して、亡國の躰なるに、長政公御入部在しに、國民等忽信服をなして, 暫しは、甲斐國守護職衣不被居故、政道, 世某穩齋、知音の人所用有之而、甲州に至りて國中徘徊せしに、片田舍に不, 私曰、信玄とは不審也, 蓋し、勝頼なるへし、, 安藝少將, 光展也, 長政ノ徳, ヲ慕フ, 甲斐ノ民, 長政仁政, ノ餘澤, 慶長十六年四月七日, 一二五

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  • 私曰、信玄とは不審也
  • 蓋し、勝頼なるへし、
  • 安藝少將
  • 光展也

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  • 長政ノ徳
  • ヲ慕フ
  • 甲斐ノ民
  • 長政仁政
  • ノ餘澤

  • 慶長十六年四月七日

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  • 一二五

注記 (28)

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