『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.349

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

へすくにまいらるゝ, 共召連、伏見の御城へはせゆき、太閤御座候邊迄被參, との儀にて、唯今御廣間へ出御被成、さためてやかて可被召出候條、左樣心, 得候て、進物なと、何にても、上候はんと被存ものを書立、御臺所へ、主計もの, 世上の批判もいかゝし、御表向にて、家康、利家なと執成を以、被召直候はん, 震、京中其外在々所々に至迄、一宇も不殘たをれ、おしにうたれ死するもの, を可指上との御使なり、然處に、家康、利家より使として、榊原式部大輔被參, から、主計ほとのものゝ御勘氣を、御うらつたひにて、めしなをさるゝ事は、, 被申は、唯今太閤、御廣間へ被成出御、主計事被仰出により、御執合申上候へ, 聞及、日をこえてやます、洛中洛外伏見大坂は不及申、五畿内おしなへて地, 御政所松の丸殿より、主計所へ御使有、主計御勘氣の儀、はや相濟也、さりな, 數をしらす、地震ゆると、則清正おきあかり、二百人の足輕に、てこを持せ、侍, 慶長元年七月十二日之夜、大地震ゆる事、二百年三百年にも、かゝる例を不, 田右衞門とは、あいさつよきにつき、太閤への御理談合として、右衞門尉所, 普請等、夜に日につき成就の上、鍋島へ相渡し歸朝し、伏見に參著し、日比、増, ○中略、増田長盛、清正ニ、石田三戒ト和睦ヲ, 勸メ、清正之ヲ聽カズ、屏居スル事ニカヽル, ○中略、清正、孝藏主ニ, 述懷ノコト二カヽル、, 城ニ伺候, 大地震ノ, トキ伏見, ス, 慶長十六年六月二十四日, 三四九

割注

  • ○中略、増田長盛、清正ニ、石田三戒ト和睦ヲ
  • 勸メ、清正之ヲ聽カズ、屏居スル事ニカヽル
  • ○中略、清正、孝藏主ニ
  • 述懷ノコト二カヽル、

頭注

  • 城ニ伺候
  • 大地震ノ
  • トキ伏見

  • 慶長十六年六月二十四日

ノンブル

  • 三四九

注記 (25)

  • 1643,642,54,595へすくにまいらるゝ
  • 1054,628,70,1575共召連、伏見の御城へはせゆき、太閤御座候邊迄被參
  • 590,638,74,2219との儀にて、唯今御廣間へ出御被成、さためてやかて可被召出候條、左樣心
  • 471,631,75,2219得候て、進物なと、何にても、上候はんと被存ものを書立、御臺所へ、主計もの
  • 706,631,72,2222世上の批判もいかゝし、御表向にて、家康、利家なと執成を以、被召直候はん
  • 1291,627,72,2214震、京中其外在々所々に至迄、一宇も不殘たをれ、おしにうたれ死するもの
  • 353,639,77,2215を可指上との御使なり、然處に、家康、利家より使として、榊原式部大輔被參
  • 823,636,72,2230から、主計ほとのものゝ御勘氣を、御うらつたひにて、めしなをさるゝ事は、
  • 238,643,74,2201被申は、唯今太閤、御廣間へ被成出御、主計事被仰出により、御執合申上候へ
  • 1409,628,72,2221聞及、日をこえてやます、洛中洛外伏見大坂は不及申、五畿内おしなへて地
  • 939,628,73,2227御政所松の丸殿より、主計所へ御使有、主計御勘氣の儀、はや相濟也、さりな
  • 1173,629,74,2227數をしらす、地震ゆると、則清正おきあかり、二百人の足輕に、てこを持せ、侍
  • 1526,624,71,2219慶長元年七月十二日之夜、大地震ゆる事、二百年三百年にも、かゝる例を不
  • 1758,628,76,2214田右衞門とは、あいさつよきにつき、太閤への御理談合として、右衞門尉所
  • 1876,617,77,2230普請等、夜に日につき成就の上、鍋島へ相渡し歸朝し、伏見に參著し、日比、増
  • 1676,1274,54,1279○中略、増田長盛、清正ニ、石田三戒ト和睦ヲ
  • 1632,1279,51,1276勸メ、清正之ヲ聽カズ、屏居スル事ニカヽル
  • 1101,2235,46,601○中略、清正、孝藏主ニ
  • 1056,2230,45,630述懷ノコト二カヽル、
  • 1126,259,41,171城ニ伺候
  • 1213,258,43,170大地震ノ
  • 1173,263,38,168トキ伏見
  • 1088,264,34,29
  • 134,711,43,473慶長十六年六月二十四日
  • 148,2445,44,123三四九

類似アイテム