『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.432

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

にて、齒のはえたる翁の物語なり、, ゆべきに、武備不令勵科、甥に同とて、是も馬を取上られたり、, 江戸のもかりにさわりはするとよけでとをしやれたいしやくくりげ, てありしか、脛の三里少下に懸りたるなり、備前兼光の長さ三尺五寸ある, とうたひたるなり、其大兵推て知るべし、是前川三左衞門入道道壽といひ, 故木村高敦談には、彼清正、不斷指料の備前兼光三尺三寸の大脇指、清正卒, す如く、加藤清正本館なり、表門前北塀外、橿木の古木及ひ榎木等ひしと植, 寸に餘れる馬に乘りて、御城下を徘徊せしに、其袷長さ四尺三寸ば、鯨尺に, 劒を、常帶の脇指としたり、されは、その頃江戸の土人のはやり小歌に、, たる所、このところの小坂を、土俗橿木坂と唱ふ、尤この古樹も、明暦大火後、, 植替たるものと知るへし、清正時代もしかる歟、慶長の半の頃、清正肥後國, て、壯年の比、蝦夷の地數百里奧迄ありきし樣の、無雙強勢の老人、八十三歳, 守として、江戸に參向して、此館に居住の時、帝釋栗毛といふその長六尺三, 期、送物として公儀へ差上候處、台徳院公、殊の外御重實に被思召、それより, しる, 參考落穗集〕四外櫻田辨慶堀前、井伊家上屋敷は、友山, ), 寺友山, ○大導, 事跡, 合考, ノ馬トソ, ノハヤリ, 帝釋栗毛, 清正ノ大, 戸ノ郎, 兵, 歌, 清正ノ江, 慶長十六年六月二十四日, 四三二

割注

  • 寺友山
  • ○大導
  • 事跡
  • 合考

頭注

  • ノ馬トソ
  • ノハヤリ
  • 帝釋栗毛
  • 清正ノ大
  • 戸ノ郎
  • 清正ノ江

  • 慶長十六年六月二十四日

ノンブル

  • 四三二

注記 (31)

  • 414,644,57,995にて、齒のはえたる翁の物語なり、
  • 1828,627,56,1791ゆべきに、武備不令勵科、甥に同とて、是も馬を取上られたり、
  • 778,708,53,2144江戸のもかりにさわりはするとよけでとをしやれたいしやくくりげ
  • 1009,634,57,2211てありしか、脛の三里少下に懸りたるなり、備前兼光の長さ三尺五寸ある
  • 656,638,59,2215とうたひたるなり、其大兵推て知るべし、是前川三左衞門入道道壽といひ
  • 295,644,60,2215故木村高敦談には、彼清正、不斷指料の備前兼光三尺三寸の大脇指、清正卒
  • 1594,631,59,2216す如く、加藤清正本館なり、表門前北塀外、橿木の古木及ひ榎木等ひしと植
  • 1125,627,58,2217寸に餘れる馬に乘りて、御城下を徘徊せしに、其袷長さ四尺三寸ば、鯨尺に
  • 892,634,56,2084劒を、常帶の脇指としたり、されは、その頃江戸の土人のはやり小歌に、
  • 1477,631,58,2226たる所、このところの小坂を、土俗橿木坂と唱ふ、尤この古樹も、明暦大火後、
  • 1358,627,59,2217植替たるものと知るへし、清正時代もしかる歟、慶長の半の頃、清正肥後國
  • 541,640,58,2214て、壯年の比、蝦夷の地數百里奧迄ありきし樣の、無雙強勢の老人、八十三歳
  • 1242,629,59,2217守として、江戸に參向して、此館に居住の時、帝釋栗毛といふその長六尺三
  • 179,644,60,2207期、送物として公儀へ差上候處、台徳院公、殊の外御重實に被思召、それより
  • 1719,2711,43,125しる
  • 1694,733,96,1755參考落穗集〕四外櫻田辨慶堀前、井伊家上屋敷は、友山
  • 1685,582,105,23)
  • 1698,2504,39,188寺友山
  • 1743,2512,42,180○大導
  • 1743,626,41,109事跡
  • 1697,625,41,110合考
  • 1260,266,35,160ノ馬トソ
  • 1218,266,33,161ノハヤリ
  • 1298,260,43,174帝釋栗毛
  • 683,268,42,171清正ノ大
  • 1697,257,41,125戸ノ郎
  • 636,268,40,41
  • 1168,262,41,40
  • 1742,257,40,169清正ノ江
  • 1943,686,44,470慶長十六年六月二十四日
  • 1947,2420,43,121四三二

類似アイテム