『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.680

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下關に著せり、, ほ吹き止まず、, 十哩なり、, 員の一人にして、當地に留れるメルヒヨル、ファン、サントフォールトに會せり、, 同月十三日、未明に碇を揚げ、十四日夕、シモエセキに著せり、, ぎ進み、波高きため再び碇を卸せり、, る領主の家臣をして、到著を報じ、上野殿、後藤庄三郎殿、及び板倉フロイメ, のために進むこと能はず、大坂より三哩の地にある堺を見、又、商品の時價, 彼は、一行の便宜を計り、又、厚く食應せり、同夕、クシマに歸れり、西の強風尚, を知らんため同所に至れり、正午、同處に著して、ヤコブ、クワケルナックの船, 同月十九日、朝、未明に名護屋を發し、午後、平戸に着せり、先つ予等に同伴せ, 同月十四日出發、十七日、フルギの町を過ぎ、夕、ヘシマの港に碇泊し、十八日、, ン殿の書状を呈せしめ、同夕、コル子リス、スペッキス。ピーテル、セーヘルツヅ, 同月十二日、川を下りて、傳法に至り、逆潮のため、同處に碇泊し、夕、二哩を漕, 同月十八日、天氣快晴なり、風に乘じて進み、夜、名護屋に著せり、下ノ關より四, 著ス, 平戸ニ歸, 堺ニ赴ク, 慶長十六年七月二十五日, 六八〇

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  • 著ス
  • 平戸ニ歸
  • 堺ニ赴ク

  • 慶長十六年七月二十五日

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  • 六八〇

注記 (20)

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