『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.900

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手ニ討取れたり、妻子き南部へ落行たり, 白戸清左衞門かたへ, 百に近きよし、大光寺一亂、并高坂徒黨にて、御家中人數半分相減、兩度之變, 老人とも落〓き、全く左樣に無之候、御前男色之御嫉妬より、多く武功之勇, 諸國ゟ參候浪人衆多く候、御當代中年之頃ゟ、舊臣之跡御糺被下置候得と, も、多く小知行にて御立被成候子細者、此節上方士御抱、御國士とも高知行, 田舍館城預り二本柳三郎右衞門も、高坂に與し、早瀬野口を立退けるか、討, にて、御譜代舊功之家も、多く斷絶に及候、舊臣と申八十三騎も、御先代之時、, 右高坂に與黨之者、既に數百人にて、其内所々に第打取候首數、上下凡て三, 但、孫藏者、岩崎孫藏歟、其感状は世に傳はらす候, の〳〵き、白取の武藝を感候やと御尋あり、其時津島彌右衞門末座より、其, 士を失ひ候、天下いまた二ツにて、何れ一度可亂相見得候に、御好色より、能, 此節老臣とも、御前に相詰居候か、皆目を見合之落〓に及候を被遊御覽、お, 武士を被亡候義故不面白、舊功と申、御先代御神靈も、左こそと落〓仕候と, 被下候ニ付、如此に候, 慶長十七年六月二十日, 輕家, 變後ノ津, 諸老臣信, 枚ヲ諷諫, ス, 慶長十七年六月二十日, 九〇〇

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  • 輕家
  • 變後ノ津
  • 諸老臣信
  • 枚ヲ諷諫

  • 慶長十七年六月二十日

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  • 九〇〇

注記 (23)

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