『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.904

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〔參考〕, を打て居たりしか、此體を見て、右馬之丞よと聲を懸しに、廣言を吐候ニ付, る處、御別條なく被爲入、乍去、左まての事なれき、人も存知したる故、此上しの, 坂下橋詰之所ゆゑ、討手之面々、坂より下る時、右馬之丞鐵炮の名人にて、彼, に長刀携へ、鐵炮を持て駈出し立退候、然に富田野に、梨田孫左衞門、自ら畑, 私なく勤仕する事數年に〓、晝夜の御座所をも存、或夜御衾之外より刺奉, て評議に及ふ、此時、奧寺右馬丞「、強勇の壯士にて、彼刺客たらんことを約し, 之物頭傍島安郎次、石岡次右衞門、組子を引連打向ひけり、奧寺か屋敷は、西, 座敷より、覘ひ濟し、討手の首を討落す、孫四郎、此騒の中に馬に打乘、白鉢卷, て、南部を立退之體にて來り、信枚公に仕へ、祿四百石にて御近習に被召出、, ぬへきにあらされは、速に宿所に歸り、逐電之用意に及、右ニ付、爲討手、一手, 夫高信之舊恨有によつて、何卒、一度津輕の主に恨を報せんと、官祿を約し, 正月二十一日ニ其條アリ、參看スベシ、, 孫左衞門〓き奴哉とて、持たる鍬にて、近く寄て、拜み打に打たりしに、外れ, 〔津輕舊記〕三信枚公慶長十七年、奧寺右馬丞、南部家にて、石川大膳大, ル刺客, リ遣シタ, 南部氏ヨ, 慶長十七年六月二十日, 九〇四

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  • ル刺客
  • リ遣シタ
  • 南部氏ヨ

  • 慶長十七年六月二十日

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  • 九〇四

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  • 1660,815,75,207〔參考〕
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