『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.1010

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して卒すといふ、其生年を推は、天文十四年なり、しかるに、家長、天文十, 朱塗の御〓當を賜ふ、十七年七月二十四日、長濱にをいて卒す、年六十八、, 五年の生なるとき〓く、家長、信成を養子とす〓きいはれなし、前にいふ, き、信成十三歳にしてはしめ第戰におもむき、慶長十七年、六十八歳に, ち、三河國の郷士等叛亂のとを、家長をし第これを攻しめらる、このと, を設るにより家を繼す、別にめされ第、東照宮につか〓童てつる、の, 大譽陽竹宗賢法善院と號す、室は粟生筑前守長勝か女、, 信正母は長勝か女、永祿十一年、三河國に生る、, 實子を設くるといふき、信成生れし年、彌次右衞門清長これを養ひ、其, 按するに、寛永の譜、信成を家長か養子とし、且其傳にいはく、家長、實子, 右京進某か女、彌次右衞門某か養子となり、別み家をおこす、, リ、某年封を襲、, 内藤豐前守信敦か祖、實は島田久右衞門景信か二男、母は, 信成, 慶長十七年七月二十四日, 内藤某, 〔寛政重修諸家譜〕〓「, ○中略、天正以來、關ケ原役二, 主ルマデノ、事蹟ヲ載セタ, 次右衞門, 金一郎、彌, 三左衞門、, 豐前守, 彌次右衞門、今の呈譜に、清康君より御, 諱字を〓ゆはり、清長と稱すといふ、, 家長, 八百, 信正, 法號, 一〇一〇

割注

  • ○中略、天正以來、關ケ原役二
  • 主ルマデノ、事蹟ヲ載セタ
  • 次右衞門
  • 金一郎、彌
  • 三左衞門、
  • 豐前守
  • 彌次右衞門、今の呈譜に、清康君より御
  • 諱字を〓ゆはり、清長と稱すといふ、
  • 家長
  • 八百

頭注

  • 信正
  • 法號

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  • 一〇一〇

注記 (30)

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