『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.361

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

拜賀として、御參内のとき、供奉に列す十八年九月二十七日、遺領を繼、二, 共にめされて、兩御所に拜〓し、十年四月二十六日、台徳院殿將軍宣下乃, 忠を打連、直壽は其頃三才成けるを脊に負ひ、士卒の手配を見、下知せられ, つり、五年、父とおなしく、蒲生秀行か許母おもむく、九年正月十五日父と, 妻に城郭を搆て居住し給ひたる、, 固成といへ共、兵粮もなく、終にき勝利難成事を知て、郎等共にも暇遣し、開, たる、城兵三百人と云々、要害堅固成故、三好一先卷ほくして歸京す、當城堅, 万七千三百石餘を領し、三千石の地を、弟宮内直房にわかちあたふ, 慶長三年、東照宮、直頼か伏見の宅に渡御乃とを、はしめてまみユたてま, 其嫡子新, 將軍家に仕へそ、數代武勇の名譽を顯し、近江國坂田郡新庄に居城し、先年, 勇志の婦人にて、士卒へ恩慈をあつくして、能一和せり、幼少の二人の子直, 〔極秘録〕近江國の住人新庄藏人直昌ハ、俵藤太秀郷廿四代の後胤也、足利, 庄直頼は、近江國淺妻の城にこもりたるに、三好か軍勢責事急也、直頼か母、, 父新庄與三直寛、伊吹山麓戰の後、將軍義輝公の顧恩を蒙之、直昌は、同郡朝, 〓中略、天文十八年六月、直昌、攝, 津江口ニ戰死スルコトニ係〓, ○直, 定ノ, 襲封ヲ、新庄家譜ニハ、十七年十二月トシ、, 下文極秘録ニハ、十三年十二月トナセリ、, 三好氏ノ, 軍朝妻城, ヲ攻ム, 祖父直寛, 直頼ノ母, 慶長十七年十二月十九日, 三六一

割注

  • 〓中略、天文十八年六月、直昌、攝
  • 津江口ニ戰死スルコトニ係〓
  • ○直
  • 定ノ
  • 襲封ヲ、新庄家譜ニハ、十七年十二月トシ、
  • 下文極秘録ニハ、十三年十二月トナセリ、

頭注

  • 三好氏ノ
  • 軍朝妻城
  • ヲ攻ム
  • 祖父直寛
  • 直頼ノ母

  • 慶長十七年十二月十九日

ノンブル

  • 三六一

注記 (28)

  • 1548,707,80,2152拜賀として、御參内のとき、供奉に列す十八年九月二十七日、遺領を繼、二
  • 1666,713,77,2148共にめされて、兩御所に拜〓し、十年四月二十六日、台徳院殿將軍宣下乃
  • 503,632,75,2216忠を打連、直壽は其頃三才成けるを脊に負ひ、士卒の手配を見、下知せられ
  • 1784,725,73,2138つり、五年、父とおなしく、蒲生秀行か許母おもむく、九年正月十五日父と
  • 867,633,62,1011妻に城郭を搆て居住し給ひたる、
  • 267,629,77,2215固成といへ共、兵粮もなく、終にき勝利難成事を知て、郎等共にも暇遣し、開
  • 382,634,77,2214たる、城兵三百人と云々、要害堅固成故、三好一先卷ほくして歸京す、當城堅
  • 1438,714,72,2009万七千三百石餘を領し、三千石の地を、弟宮内直房にわかちあたふ
  • 1901,723,72,2141慶長三年、東照宮、直頼か伏見の宅に渡御乃とを、はしめてまみユたてま
  • 849,2579,58,277其嫡子新
  • 1083,632,79,2227將軍家に仕へそ、數代武勇の名譽を顯し、近江國坂田郡新庄に居城し、先年
  • 617,632,81,2223勇志の婦人にて、士卒へ恩慈をあつくして、能一和せり、幼少の二人の子直
  • 1196,581,108,2286〔極秘録〕近江國の住人新庄藏人直昌ハ、俵藤太秀郷廿四代の後胤也、足利
  • 733,636,80,2229庄直頼は、近江國淺妻の城にこもりたるに、三好か軍勢責事急也、直頼か母、
  • 966,637,80,2227父新庄與三直寛、伊吹山麓戰の後、將軍義輝公の顧恩を蒙之、直昌は、同郡朝
  • 881,1646,51,913〓中略、天文十八年六月、直昌、攝
  • 840,1648,50,896津江口ニ戰死スルコトニ係〓
  • 1462,2744,39,112○直
  • 1416,2743,40,105定ノ
  • 1360,718,52,1208襲封ヲ、新庄家譜ニハ、十七年十二月トシ、
  • 1318,719,47,1210下文極秘録ニハ、十三年十二月トナセリ、
  • 804,270,41,161三好氏ノ
  • 759,266,43,167軍朝妻城
  • 717,272,38,110ヲ攻ム
  • 998,267,43,173祖父直寛
  • 644,263,42,172直頼ノ母
  • 183,695,44,470慶長十七年十二月十九日
  • 168,2430,39,107三六一

類似アイテム