『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.683

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仰ける, り、すてに〓合ける故、八田八藏、梶浦太郎兵衞なと走り行て取靜め、双方を, といふそと御尋有、雲徹承り、三左殿、余り取ふ物かなくて、冀〓の運上まて, 取申さるゝと沙汰し候由申ける、國清公、以の外瞳沮給ひ、其坐を立ち、奧に, と大音にてもほめん事苦しからす、若諍論なとする者あらは、理非の辨な, く罪すへしと令あり、みつからも、其技をし給ふ、折ふし拜見の中に、口論起, に寵あり、或年、雲徹京より下り、御前に伺公す、國清公、我等事を、京ニては何, 運上取しと聞、爾來はきつと止めよと令すへし、幾度も爲に成事は申せと, を賜ふか、放逐せらるゝか、いつれ只にはあらすと思ひ出にれは、案の外威, を霧させ、きのふは、能我しらぬ事を申せし也、いかさぬ薄田左馬か申付て、, 入給ふ、雲徹畏縮して、宿所に歸りぬ、扨あくる日、雲徹を召れにれは、定而死, 石丸令歸、其弟雲徹、播州にそ召出され, 仰らる、豐後不覺落〓して退出す、國清公の御行跡、大かた此類多しとかや、, 石丸も姫路に居、關東に下り給ふ時は、京都に住す、雲徹に五百石を賜ひ、殊, 參河ニての事成しか、或時御祝の申樂を設れしに、けふは何ほ, 國清公御在國には、, 〔池田家履歴略記)四慶長十八年癸丑鎌國清公言行、, 兄弟共に御, 咄の衆と云, ○中, ○上, 略, 略, 糞壺ノ運, 上ヲ止メ, シム, 慶長十八年正月二十五日, 六八三

割注

  • 兄弟共に御
  • 咄の衆と云
  • ○中
  • ○上

頭注

  • 糞壺ノ運
  • 上ヲ止メ
  • シム

  • 慶長十八年正月二十五日

ノンブル

  • 六八三

注記 (28)

  • 599,631,50,202仰ける
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