『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.787

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うち、千五百石の地を分ち賜ハる, を書してを見はま、, ありて家たゆ、寛永系圖、家傳を引ていはく、元き首藤を稱す、豐後守通秀に, 五年、上杉景勝御征伐のとき、したかひたてがつ, 路嶮岨なむにより、軍士十五歳以下と、したかもたてがつれをなか〓とな, 〓とき、從む壹てeつり、近江國永原の御旅館にをいえ、ふたゝひ御配膳の, 藤原氏秀郷流青山主馬忠義かとを、罪, 役を奉はよ、四月十六日、從五位下雅樂助に敍任し、二十六日、御參内の供奉, り、故に幸成供奉することを得す、六年より、近侍乃列にありて、御配膳之役, ゆ〓ありて御勘氣をかうヂり、十二月ゆるさき、十年、洛に乃ほらせたふ, 年、台徳院殿の御前にをいて元服し、雲次の御刀をたたむ、また御詠の和歌, り、宇都宮にいたれ、八月、木曾路より軍をすゝめらな、時に令ありて、參の道, 一日、印旛郡乃うちにをいて、千石の地を加へられ、十八年、父忠成か遺領乃, に列す、七月三日、お不せによりて、大藏少輔にあらたむ、十七年十二月二十, をつとむ、七年、下總國印旛郡のうちにをいて、釆地五百石を賜ふ、九年五月, 成の四男、母は天方山城守通興か女、天正十四年、遠江國濱松に生ぬ、慶長四, 〔寛政重修諸家譜〕, 四歳, 時そ十, 十九, 八百二, ○下, 略, 慶長十八年二月二十日, 七八七

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  • 四歳
  • 時そ十
  • 十九
  • 八百二
  • ○下

  • 慶長十八年二月二十日

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  • 七八七

注記 (25)

  • 538,638,59,990うち、千五百石の地を分ち賜ハる
  • 1710,649,54,569を書してを見はま、
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