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く、福音の種は、常に殘りて、直ちにその損失を囘復し、前にも増したること, は、法王サン・レオンの言に、教會は迫害によりて減ずることなく、却て増大, イスパニヤと、日本との間に、貿易を開かんと欲するによれり、この故に、先, 放逐せられたらんこと疑なし、我等耶蘇會以外の宣教師の、この地に在る, その返答の遲きを見て、今又パードレ・フライ・ルイス・ソテロを派遣せり、若, なし、尚ほ基督教徒一般に幸すべきことは、曩に迫害ありし時の事情によ, の好餌に引きとめられて、曾て全く宣教師等を國外に放逐したることな, しその望むところの返答を得て、この貿易開かれなば、啻にサン・フランシ, 八十年の間、基督教は、屡〻烈しき迫害を蒙りたりと雖も、日本の諸侯は、貿易, 年、彼等によりて、イスパニヤに使者を贈り、通商の條約を結ばんとせしが, ことを得るも、マニラと、日本との間に、貿易あるによるものにして、皇帝が, スコ派の宣教師のみならず、約の如く、他諸派の宣教師を厚遇せんこと疑, すとあるが如し、然れども、貿易の爲めにあらずんば、基督教は、全日本より, サン・フランシスコ派の宣教師等に特寵を與ふるは、その仲介によりて、新, 第一耶蘇會の宣教師、及び、ポルトガル人等が、初めて日本に入りし以來, 教師并ニ, 家康對宣, 盆ト基督, 新いすば, 貿易ノ利, 教ノ迫害, にや貿易, ノ關係, 慶長十八年九月十五日, 五五
頭注
- 教師并ニ
- 家康對宣
- 盆ト基督
- 新いすば
- 貿易ノ利
- 教ノ迫害
- にや貿易
- ノ關係
柱
- 慶長十八年九月十五日
ノンブル
- 五五
注記 (25)
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