『維新史』 維新史 1 p.500

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は元和二年, の禁教・通商の態度は徳川家康に於いても亦同樣であつて、一方貿易に就いては, のではなく、寧ろ通商貿易を盛んにしようと努力したことが推知せられる。此, に〓航せしむべし」と達し、次いで又平戸一港に限定した。然るに宣教師の潛入, 感のあるのを案じてのことであつた。翌慶長十八年十二月家康は重ねて全國, 密告したこと、及び幕吏・佛教徒・儒者等のみならず、一般國民の基督教に對する反, 果、和蘭人が西・葡兩國宣教師の布教が、外國侵略又は内亂誘發の目的を有すると, 積極的態度を執つたが、耶蘇教に對しては禁壓の方針を執り、遂に慶長十七年, に向つて基督教を嚴禁し、其の禁令にも「夫日本者元是神國也」の句が其の初頭に, の嚴令を下した。蓋し和蘭・英吉利兩國人と西班牙・葡萄牙兩國人とが軋轢の結, 三月幕府は江戸・京都・駿府・長崎及び有馬氏舊領地等の直轄地に對して禁教, 見えてゐた。二代將軍秀忠も亦基督教禁制の方針を襲ぎ、貿易の方針に於いて, 被仰候」と云つて、明國との貿易を許し、「英吉利船は同じく切支丹なれば長崎・平戸, が〓りなるに加へて、和蘭人が耶蘇教徒に野心ありとの入説が亦甚しかつたの, 八月「追て唐船之儀は何方に著岸候とも、船主次第賣買可仕旨, 西暦一六, 一六年, 二年, 一六一, 曆, 西, 徳川家康, 商政策, の禁教通, 徳川秀点, の禁教, 第三編鎖國政策の破綻, 五〇二

割注

  • 西暦一六
  • 一六年
  • 二年
  • 一六一
  • 西

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  • 徳川家康
  • 商政策
  • の禁教通
  • 徳川秀点
  • の禁教

  • 第三編鎖國政策の破綻

ノンブル

  • 五〇二

注記 (28)

  • 580,593,53,318は元和二年
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