『大日本史料』 12編 12 慶長十八年九月(支倉常長訪欧関係史料) p.522

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

いへな語を以て綴れる文と見ゆるなり、これ地は革にして、永久ニ傳, る免許状とやいふへきものなるへく、これを佩ひて四方を廻歴すれ, は、其徒は敬服をなす共いはんものにやと察せらる、しかし如何なる, 地なりともきけはなり、但文辭を解する〓を得されは、詳にすたから, 文體なるにや、讀事を得されは、未たこれを詳に七す、唯ハクセクュラ、ロ, すといへとも、口供に南蠻の都へ到り、國王波阿波に〓せしと見へし, ふたく、文は歐羅巴洲中き通する辭なりときけは、其諸州中に弘く辨, 別せしむるために、此文にて書せしなるへし、其文意は卒かに讀み、容, 易に解すたからさるものならん、これは其教門に入り、僧官を授けた, 波亞波は、邏馬都府の教法官僧王の事にやと知らる、其文字連書の體, 都府まて到りて、此金泥行の書をも授りしにや、右の羅甸は、邏馬の舊, は渡海の後、三ケ年目と見ゆ、此等を以て推し考れは、遠く邏馬といふ, は、上は大書、下之方中字左の如し, 十二日と記セり、此年, クヱヱモンういふ數字を讀得し迄なり、末行に彼年暦一千六百十五, 年, デセムビリス, 全文は寫し留めす、裏には海, 慶長十八年九月十五日, 我元和元年乙, 彼十二月、我十月, 十一月ノ間ナリ。, 卯にあたる, ○歐文, ヲ略ス, 慶長十八年九月十五日, 五二二

割注

  • 我元和元年乙
  • 彼十二月、我十月
  • 十一月ノ間ナリ。
  • 卯にあたる
  • ○歐文
  • ヲ略ス

  • 慶長十八年九月十五日

ノンブル

  • 五二二

注記 (27)

  • 1798,792,64,2043いへな語を以て綴れる文と見ゆるなり、これ地は革にして、永久ニ傳
  • 1336,786,63,2049る免許状とやいふへきものなるへく、これを佩ひて四方を廻歴すれ
  • 1220,797,63,2040は、其徒は敬服をなす共いはんものにやと察せらる、しかし如何なる
  • 525,782,63,2063地なりともきけはなり、但文辭を解する〓を得されは、詳にすたから
  • 1107,780,62,2051文體なるにや、讀事を得されは、未たこれを詳に七す、唯ハクセクュラ、ロ
  • 408,792,61,2060すといへとも、口供に南蠻の都へ到り、國王波阿波に〓せしと見へし
  • 1684,785,63,2050ふたく、文は歐羅巴洲中き通する辭なりときけは、其諸州中に弘く辨
  • 1570,779,63,2058別せしむるために、此文にて書せしなるへし、其文意は卒かに讀み、容
  • 1454,783,60,2046易に解すたからさるものならん、これは其教門に入り、僧官を授けた
  • 294,784,61,2061波亞波は、邏馬都府の教法官僧王の事にやと知らる、其文字連書の體
  • 639,782,64,2066都府まて到りて、此金泥行の書をも授りしにや、右の羅甸は、邏馬の舊
  • 757,787,64,2048は渡海の後、三ケ年目と見ゆ、此等を以て推し考れは、遠く邏馬といふ
  • 180,796,58,978は、上は大書、下之方中字左の如し
  • 873,2204,56,639十二日と記セり、此年
  • 989,791,62,2052クヱヱモンういふ數字を讀得し迄なり、末行に彼年暦一千六百十五
  • 885,781,50,53
  • 888,1283,37,401デセムビリス
  • 177,1995,57,852全文は寫し留めす、裏には海
  • 1921,700,42,422慶長十八年九月十五日
  • 907,856,44,397我元和元年乙
  • 903,1715,44,481彼十二月、我十月
  • 861,1718,39,480十一月ノ間ナリ。
  • 868,859,37,332卯にあたる
  • 206,1794,43,180○歐文
  • 167,1800,35,165ヲ略ス
  • 1921,699,43,422慶長十八年九月十五日
  • 1913,2417,43,119五二二

類似アイテム