『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.106

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かは、淺からげる御つもりと諸人感しき、, かにもして、此耻を雪がんと思はけるべたむや、渠が前廉の働にて知られ, なれは、笑たる者共に〓をとらせ、壹人切腹致させよと有けれは、隼人達て, の、一たび思ひよらげる面目を失ひ、日本にかくれなき惡名を得たれば、い, 臣に向き、此者かゝな動作せんと我兼そ思慮せしなり、子細は武功あな者, けれは、肥前守以之外立腹にて、年寄たる者は、か樣の事又も可有、以後の爲, 召抱、禮を請られし時、隼人長袴にけつまつきころひしを、近習の若輩笑ひ, たり、其方達に知行を乞て是を抱へしは、肥前守が目利惡きやと自慢有し, かうむなといへども物ともせず、混とほゐて攻込、大手の門の内にて、いさ, きよく討死す、これによつて諸士舌を振ふて、渠が武勇を感じにる、利長諸, りひを致し赦免の由、隼人は、初河和善右衞門とて秀次に勤て、後堀尾帶刀, 大名御禮申て被歸時、見て被通樣ニ被成置候へは、諸大名衆、治部を見付之, に勤し也、, 夜話〕石田治部被〓、二條の御城一間なる處にいましめなから被入置、諸, 〔武士とし〕〓名盛正記加賀の大守前の肥前守、河野隼人と云士を, 加賀の大守前の肥前守、河野隼人と云士を, 〔武士とし刺〕上名盛正記, ヲ保タシ, 田三成, 士ノ面目, 利長ト石, 慶長十九年五月二十日, 一〇六

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  • ヲ保タシ
  • 田三成
  • 士ノ面目
  • 利長ト石

  • 慶長十九年五月二十日

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  • 一〇六

注記 (23)

  • 1060,599,65,1214かは、淺からげる御つもりと諸人感しき、
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