『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.186

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秀望せ之勝成か父の仇なれはれり、種長をよひ忠光、長毎等は、其功により, 日向國莊内乃城にこもるのとき、八月二十日、東照宮より御書をたあは, もり、種長、忠光、長毎は三丸をまもる、三人密に謀て城主を殺し、城を出て, まもり、垣見和泉守家純、熊谷内藏允直陳、木村惣右衞門勝正き二丸をま, よしをつく、福原つゐに秀望か子を出し、城を去て高野山に乃かな、これ, 毎とおなしく美濃國大垣城にあり、九月十五日、關原合戰乃とき、水野六, 約をけたむ、十八日、種長等、垣見、熊谷、木村等か首を獻す、勝成約束のこと, て本領を安堵す、十三年、駿府城石壘の普請をうとたまはり、七月九日、其, 左衞門勝成、松平丹波守康長等大垣の城をせむ、福原右馬助直高本丸を, 降參せむヲこはとをつく、勝成功の速なるをよろこひ、これをゆるし、かたく, 加々野江彌八郎秀望か子を出して降參をは、本領安堵を執達申す〓き, く、旗を立て二三乃丸母入、急に本丸を攻、勝成また人をもつていはしむ, 將多く三成に屬に、種長も弟高橋右近大夫忠光をよひ相良左兵衞佐長, りしかは、兵を出してこれを追討す、五年、石田三成謀叛乃とき、西國の諸, 事を勞とられ、台徳院殿より御書をたあふ、十九年六月十三日卒す、雄山, 慶長十九年六月十三日, テ大垣城, 種長等家, 康ニ通ジ, 軍ニ屬シ, テ其軍ヲ, 關原役西, 導ク, ヲ守ル, 一八六

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  • テ大垣城
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  • 關原役西
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  • 一八六

注記 (25)

  • 369,651,69,2142秀望せ之勝成か父の仇なれはれり、種長をよひ忠光、長毎等は、其功により
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