『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.1056

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の基督教の擴張と保護とを務め、己の權勢を利用して、當時日本に在りし, めに方り、坊主の請願により、京都より放逐せられ、會堂并に住宅は沒收せ, せしめ、京都の會堂を還付し、且パードレ等の同所へ住居することを許さ, 唯一の宣教師たる耶蘇會のパードレ等を助けたり、宣教師等は内亂の初, 田殿を經由して、信長及び公方樣に説き、パードレ・ルイス・フロイスを引見, に其功を奏したり、爾來新公方及び寵臣信長は、基督教に對し、頗る好意を, しめんとし、坊主、及びパードレ放逐の主謀たる内裏の妨害に拘はらず、遂, ダリヨ及びジユストは、熱心なる教徒にして、自己の名利よりも、寧ろ日本, の王信長の援助を受け、〓虐者を放逐し、故公方樣の弟御屋形を位に擧げ、, 新公方樣とし、信長は兵權を掌握し、和田殿は京都の政治を領せり、, られたり、彼等は爾來三ケ年間堺に潛伏せしが、ダリヨ及びジユストは、和, ヨは、和田殿の弟なりしが故に、新將軍の爲めに起したる千五百六十六年, 以後の戰は、ドン・ジユストが參加したる最初の戰爭なりき、和田殿は、尾張, 表し、坊主等が、屡〻會堂の硬壤と、パードレの放逐とを請願したれども、之, 亡君の仇を報い、その弟を位に即けんが爲め戰をなせり、ダリ, 和田殿, ○惟, 政, 盡力, ニツキ南, 教ヲ保護, 信長耶蘇, 耶蘇布教, 義昭及ビ, 坊父子ノ, ス, 慶長十九年九月二十四日, 一〇五六

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  • ○惟

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  • 盡力
  • ニツキ南
  • 教ヲ保護
  • 信長耶蘇
  • 耶蘇布教
  • 義昭及ビ
  • 坊父子ノ

  • 慶長十九年九月二十四日

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  • 一〇五六

注記 (28)

  • 1081,577,70,2210の基督教の擴張と保護とを務め、己の權勢を利用して、當時日本に在りし
  • 846,578,72,2207めに方り、坊主の請願により、京都より放逐せられ、會堂并に住宅は沒收せ
  • 495,578,72,2209せしめ、京都の會堂を還付し、且パードレ等の同所へ住居することを許さ
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