『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.1093

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をなせり、, に至り、僧侶等之を受取り、我が學林の寺内に葬れり、, ジユリヤ内藤は、ジユアンの姉妹にして、日本婦女修道會を京都に創立し、, せられし日本婦女修道會員の事, 名譽の葬儀を營み、高等法院長并に判官等、小距離の間、その棺を運び、次に, 盆ありと認めたるものを翻譯し、又支那の醫書を譯し、自らマニラに於て, 日本人及び土人を診療せり、但し年老いたると心を他事に移すことを欲, びては、長老として艱難を共にしたり, の文學を學びて之に達し、文を作ることに熟せしかば、宗教書類中最も利, 千六百二十六年の末に至り、長病の後終に死せしかば、マニラ市は爲めに, 教徒の危急なる時に方りては指導者となり、フィリピンへ流さるゝに及, 重なる市民と、ミセリコルヂヤ組合員の重なるもの之を運びて、寺院の門, 第一節, せざりしとにより、病者を往診することなく、姉妹等と同じく隱遁の生活, 第三十章ドン・ジユスト及びドン・ジユアン・徳庵と共にマニラに追放, ジユリヤ内藤は、齡二十二歳に, ○中, 略, ト共ニ放, 逐セラレ, 徳庵ノ死, 日本婦女, 修道會, 南坊徳庵, シ婦人, 徳庵ノ妹, 於ケル徳, 去, ジユリヤ, マニラニ, 庵, 内藤, 慶長十九年九月二十四日, 一〇九三

割注

  • ○中

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  • ト共ニ放
  • 逐セラレ
  • 徳庵ノ死
  • 日本婦女
  • 修道會
  • 南坊徳庵
  • シ婦人
  • 徳庵ノ妹
  • 於ケル徳
  • ジユリヤ
  • マニラニ
  • 内藤

  • 慶長十九年九月二十四日

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  • 一〇九三

注記 (34)

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